海外から空路帰国する時に羽田空港や成田空港だと日本に帰ってきたという実感が、それほど迫ってこない。東京湾を行き来する船や川崎・横浜の工場やオイル・タンク群の風景からは、外国で思った日本に対する切ない様な郷愁が浮かんでこない。
それが日本海から新潟空港に近づくと一気に祖国に戻ってきたという実感が迫ってくる。何の変哲もないシベリアの大森林の空を飛んできたから、新潟平野の緑豊かな田園風景が日本を感じさせるのかもしれない。「美しい国に帰ってきた」といつも思う。空港に着くとまずソバを食べたくなる。羽田空港や成田空港だとコーヒーを飲みたくなる。
東京生まれ、東京育ちの私だが、戦前の東京には”お江戸”の風情が残っていた。今の東京には高層ビルが立ち並ぶ無機質な印象しか感じられない。たまに東京駅に行くと、雑踏にもまれれて疲れすら覚える。
地方勤務が好きだった私は、本社帰任の辞令を貰うと喜びよりも、東京砂漠に戻るという鬱陶しさが先に立った。だから”お江戸”の風情が残る浅草に足繁く通うようになる。戦前に高見順、新田順、田宮虎彦ら文士が愛した浅草だったが、戦後は違う浅草になっている。
何が違うかというと田舎の風情が薄れたからなのでないか。名古屋のことを東京と大阪にはさまれた”大きな田舎”と評する人がいるが、戦前の東京は地方人が集まってくる”大きな田舎”の風情があった。上野駅は地方人が上京する玄関。石川啄木が地方訛りを懐かしんで、上野駅にふらりと出掛けたものである。東北新幹線の改札口近くに
ふるさとの訛(なまり)なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく
という文学碑が建っているが、気がつく人はあまりいない。足早に新幹線の改札口を通り過ぎていく。
無機質で効率だけが巾をきかす東京には魅力がない。死ぬ時にはせめて東京から離れた土地でおおらかに最期の時を迎えたいと思って、利根川沿いの家を求めて十五年になる。都会のドブ鼠よりも田舎の野良鼠で終わりたい。地方の時代を文学的な表現をすれば、そういうことではないか。
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5868 都会のドブ鼠よりも田舎の野良鼠 古沢襄

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