「和偕社会」? 政治宣伝は消滅したのか。ウィグル自治区の騒擾から一年が経ってウルムチは厳戒態勢。7月5日はウィグル「暴動」から一年、中国は省都ウルムチに夥しい軍と警察を投入し厳戒態勢を敷いた。
自動小銃を小脇に警棒をもった漢族の警察らは30人ごとトラックに分乗してウルムチ市内の要所を警戒、新たに4万台の監視カメラも導入された。
過去一年間でウィグル自治区へ投入された「暴動予防予算」は二倍となった。力で押さえ込み、一切の抗議活動は認めない。ウィグル独立運動は「分裂主義者」というレッテルをはって弾圧の対象、ウィグル人の漢族への怨念はますます深まる。
2009年七月の暴動は華南の工場でウィグル労働者へ差別と弾圧から血の流血事件となり、ウィグル人が殺された。
一気にウィグル人の民族感情が爆発したのは積年の怨念の堆積があるからで、1951年の侵略以来、数十万といわれる血の犠牲、粛正の後、ロブノール周辺で核実験を強行し、被爆被害は十数万人ともいわれる。
さらには近年の原油とガスの発見を、漢族が独占してビジネスを展開し、ウィグル人からみれば資源を盗掘されていることになる。
だから華南の事件がたちまちウィグル自治区へ飛び火し、死者200,負傷1700名という惨劇をもたらし、ついには十六年にわたってウィグルを支配した王楽泉・書記(政治局員)の更迭へと繋がった。
▲事件の真相は封印されたままだ
アムネスティ・インタナショナルは「暴動の原因、死傷者の数の実態、プロセスの究明など独自の調査を要求したが、中国はこれを峻拒した。また多くの質問にたいして中国政府は満足な回答をしておらず、あれが『ウィグル人の暴動だった』とかたづけるのは一方的ではないか」とする(アルジャジーラ、7月6日)。そうした不満の声が国際間には広がっている。
じっさいに一年前の暴動はウィグル人の抗議活動に対して漢族が武装してウィグル人居住区や交通人を襲ったもので、漢族の犠牲ばかりが誇張されているが、カザフスタンなどへ逃亡したウィグル人も数万といわれ、また当局に死亡を届けずに「行方不明」などの実態は伏せられたまま。
当局の総括は解釈があべこべではないか、とするのがウィグル人らの訴え。世界イスラム会議などは世界各地でデモや抗議活動を展開した。
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<付記> 読売新聞の現地レポートは読み応えがありました ↓
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100705-OYT1T01124.htm
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5869 ウィグルに積もる不満と怨念 宮崎正弘

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