渡辺喜美氏の選挙演説を聞いた。亡くなった叔父の高木幸雄氏(旧姓渡辺)が「一匹オオカミにならないか」と心配していたが、この二、三年でスケールの大きい大衆政治家に育った。父親の渡辺美智雄氏の秘書をしていた頃の喜美氏とは見違えるほど逞しい政治家になっている。地下の美智雄氏も幸雄氏もサナギが蝶になったと喜び合っているだろう。
渡辺幸雄氏とは東京・大橋の下宿で学生時代を過ごした仲である。弟がいない私にとって幸雄氏は”舎弟”。大学はサボッてよく新宿の西口で飲み歩いた。幸雄氏の父親は栃木の山林地主。父親の弟が美智雄氏のオヤジ。美智雄氏と幸雄氏は従兄弟。この頃、幸雄氏は映画助監督になりたいと言っていた。
渡辺一族ほど結束力が高い親族はいない。美智雄氏が県会議員の選挙に立った時には、一族の山林を売って応援した。父親に叱られて映画助監督を諦めた幸雄氏は、当時としては珍しい温泉付き別荘の開発業者に転身する。
これが当たって北関東一の開発業者になって、地元に豪勢な本社ビルを建て、東京の都庁近くに東京事務所ビルを建てたのだから、人の運なんて分からない。北海道のヒグマ・中川一郎氏と無二の親友となり、私も呼び出されて赤坂のTBS近くのトンカツ屋でよく飲んだ。
しかしガンに冒されて66歳の若さでこの世を去った。もう十年近い歳月が経っている。今生きていれば、甥の喜美氏の後ろ盾になっていただろう。私の母をよく知っていた幸雄氏は、古沢元・真喜文学碑が除幕した日に文学碑を抱いて泣いていた。心優しき”情”の男であった。
喜美氏には組織もなくカネもない。あるのは無党派層の応援だけである。むしろ、これからが政治家として大成する門口に立っている。小政党の党首だから合従連衡の知恵も絞らねばなるまい。小泉改革路線に近いし、自民党というよりは民主党に近い政策の持ち主である。みんなの党をステップにして、次の飛躍を考えているのだろう。
やはり美智雄氏も幸雄氏もハラハラしながら喜美氏を見守っているのであろう。
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5876 渡辺喜美氏と叔父の高木幸雄氏 古沢襄

コメント
ご丁寧なご返事を頂戴いたしまして心から感謝申し上げます。メールの確認が滞っていたため、お礼が遅れたことお詫び申し上げます。
以前も<柴わんわん>としてコメントさせていただきましたが、古澤様のブログに出会うことができて、従前とは違う視点で政治を見るようになりました。
三十代半ばの世代の私は、物心ついたころには、ロッキード。「記憶にございません」「秘書が、秘書が」・・・学生時代は超氷河期にも拘らず無策・・・で政治とりわけ自民党に幻滅して育ったように思います。
そんな私が自民党を見直す契機となったのが福田康夫元総理で、その頃こちらのブログにも出会いました。瞬間的な点を散りばめた無味乾燥な記事が多い新聞と異なり古澤様の記事には長い経験に基づいた深い洞察が伺え学ぶべきところが多いですし、選ばれる記事からはお人柄が偲ばれ、鰍文庫を拝読するのはネットに接続する時の楽しみの一つです。
古澤様のブログを拝読するようになり、歴代総理の業績のような本も読むようになりました。その中で、福田赳夫元総理が「お国のためと国民が買っていてくれた国債が戦後一転して紙屑になったことが、大蔵省の職員として悔しかったし、申し訳なかった」と述懐され、その経験からバラマキを諌め財政健全化を目指されていたというエピソードを読んでいたので、今回のような質問になりました。
日本国債は確かに、日本の銀行と日本国民が引き受けているのでギリシャとは違うのは理解できますが、最終的には(破綻すれば)すべてのツケを国民が負うということだと思います。対外的な迷惑・ダメージはないというのは最終局面での結果論であって、それを防ぐ努力をする段階で、「日本国債は日本人自身が買ってるのだから、どんどん発行すればよい」というのは、「最後にはお国のためと諦めて泣きなさい」、というのと同意語ではないでしょうか?
こんな腹づもりで世論をリードされては堪らないと思いますが、バラ色のバラマキに飛びつき、消費税増税を言うたびに政局が混乱する選挙を繰り返させる国民の自業自得なのかもしれないと諦観しています。
これからさらに混迷を深めるであろう政治への言及も心して拝読させていただきたいですが、民族・風土の歴史などの記事も本当に興味深く学ばせていただいています。有難うございます。
冷夏という長期予報が、猛暑という予報に変わり、今現在ぐずぐずとした長雨が続いていますが、どうか御体ご自愛下さり、これからも学びの場を与えてくださいますようお願い申し上げます。本当に、有難うございました。(柴わんわん)