5886 ワシントンで知る 鳩山前総理と日本の存在感 加瀬英明

私は鳩山首相が辞任したというニュースを、ワシントン滞在中に知った。翌朝、地元紙の『ワシントン・ポスト』を手に取って、眼を一面に凝らしたが、鳩山首相が辞めたという記事がなかった。めくってゆくと、八ページ目になってようやく報じられていた。
このところ、アメリカにおいて鳩山首相も、日本も、存在感が希薄になっていた。日本で明治十八年に内閣制度が始まってから、鳩山由紀夫氏ほど軽い首相はなかった。軽い人だったから、発言も行動も軽かった。そのために、日本の存在がいっそう軽くなった。
これは、一国の安全にかかわることだった。その国に敬意が払われなければ、国の安全をはかることができない。日本国民がこのような政権を生んだのだった。これほどまで軽い人物を選んでしまったことを、昭和二十年八月に首相だった東久邇宮殿下の言葉をかりれば、「一億総懺悔」するべきである。
日本の存在が軽くなったのは、鳩山政権だけのせいではなかった。日本では一九九〇年にバブル経済が弾けてから、「失われた十年」が「失われた二十年」になり、経済が縮小し続けてきた。先進国のなかで二十年も続いて経済を衰えさせてきたのは、日本だけである。
総理の任期は国の評価
そのうえ、四年間で首相が四人も交代したのだ。これが営利会社だったら、倒産していよう。まさに、日本の落日だ。鳩山首相の辞任を受けて、世界でもっとも権威ある週刊誌である、イギリスの『エコノミスト』の最新号が日本について、表紙に日の丸から赤丸が抜けて、地面へ向かって落ちている絵を用いて、特集記事を組んでいる。
アメリカで、日本に関心をいだいているのは、数少ない日本関係者に限られている。アジアでは、中国の経済と軍事力の興隆に、目を奪われている。それでも、日本を重視する人々は、「日本が国力を回復してほしい」と願っている。アメリカはアジアを経営するのにあたって、日本をパートナーとして必要としている。
 アメリカはけっして日本を捨てて、中国と結ぼうとしていない。
アメリカと中国は経済付相互依存状況
中国がかつてのソ連を連想させるような敵性勢力であることを、よく理解している。だからこそ、中国に係わらなければならない。そのうえ、アメリカは中国の虜(とりこ)となっている。両国は、アメリカが垂れ流すドルを中国が引き受け、中国がアメリカ市場を必要としている相互依存関係にある。
私は二十代からアメリカに通ってきたから、日本の興隆とともに生きてきた。ところが、このところ日本の興隆のあとで、凋落を体験しているのだろうかと、訝っている。
戦後、日本国民が時がたつうちに、幼稚になった。鳩山内閣が菅直人内閣と交替して、同じ民主党内で政権の盥(たらい)回しが行われた。民主党は昨年の総選挙で、いまの「生活第一」という公約を掲げて圧勝した。子供の特徴は、その場の欲求を満たすことにしか、興味がない。欲求が入れられないと、泣き叫ぶ。
国の独立は自らの手で護ること
日本国民が幼児化した病根は、日本国憲法にある。国際社会は成人(おとな)の共同体であるのに、日本は一人前の国家に備わっている交戦権を否定して、自ら国家主権を奪ってきた。
鳩山内閣の失態は、日米間の普天間基地の移設合意を迷走させたことにあった。これは首相、外相、官房長官をはじめ軍事問題について、まったく無知だったことに発した。日本は国家の基本である国防を、アメリカに一方的に委ねてきた。
中国が異常な軍拡を進めているために、沖縄が日本の防衛の最前線となっている。ところが、沖縄には二万人以上のアメリカ兵が駐留しているのに対して、二千人の自衛隊員しか配置されていない。
私は鳩山首相が昨年の総選挙戦中に、普天間基地を沖縄県外へ移設すると公約した時に、事前に移転先についてかなりの研究を行い、アメリカの感触を非公式にはかったうえで、そのような重大な発言を行ったものと思った。だが、思いつきにしかすぎなかった。
徳之島にヘリコプター部隊を移すことに執着したが、沖縄本島から遠すぎることが、分からなかった。ヘリは海兵隊の移動手段であって、これでは消防車を消防署から何キロも離れたところに置くようなことだったから、アメリカが承知するはずがなかった。
その後、日米合意に戻ることを強いられると、苦しまぎれに名護市辺野古の海を埋め立てるかわりに、海に杭を打ち込んで滑走路を建設するという案を、アメリカに提示したが、杭打ち方式では脆弱すぎるといって一蹴され、仕方なく埋め立て方式に戻った。
私はしばらく前に、NATO(大西洋条約機構)軍の招待で、NATOの基地を見学したことがある。どの基地も臨戦体制にあった。
小型機で西ドイツ(当時)にあった、空軍基地に案内されたが、滑走路に迷彩が施され、土砂を積んだボタ山がそこかしこにあって、数台のブルドーザーが待機していた。案内の将校が「滑走路が爆撃されて、穴をあけられたら、埋めるためです」と、教えてくれた。
寄せ木細工のような桟橋を建設して、破壊されたら、修復するのがたいへんだ。鳩山内閣はここで何千万円、何億円といって、政治ショーとして「仕分け」を行った。だが、杭打ち方式を採用したら、埋め立てるよりも費用が二倍近くかかった。民主党のお遊戯場にすぎなかった。
首相や、閣僚だけが軍事問題について、知識をまったく欠いているのではない。先の大戦を体験した世代が引退した後の国会議員のほとんどについて、同じことがいえる。
アメリカの政権幹部は、日本の為政者が軍事知識を欠いているために、「話し相手にならない」と嘆いている。これでは国防が独立国の重大事であり、日米安保条約が軍事条約であるにもかかわらず、対話が成立しない。日米同盟関係について、今後、もっとも憂えねばならないことだ。
国会議員に防衛省の官僚が議員会館に呼ばれて講義することを求められるものの、「方面隊と師団はどちらが大きいか」とか、「大隊は連隊の上か」と質問をされるという。これも、戦後、学校教育の場で軍事という大事を、まったく教えてこなかったからである。
国会議員会館が建て替えられて、テレビの番組によれば、地下階にあった二軒の床屋が一軒になったかわりに、英会話教室が入ることになったという。英語も結構だが、それよりも軍事教室をぜひ設けてほしい。
日本国憲法が日本を国家でなくしているために、日本国民の大多数が国を想うことがなく、自分を確立することがなくなった。福沢諭吉が警告した、「一身の独立なくして、一国の独立なし」という羽目に陥っている。
しっかりとした自己を持たなくなったために、商業本位のマスコミの煽動にのりやすく、マスコミがつくりだす贋物のコンセンサスに寄りかかって、身を委ねる。自分の重心が外にあるために、集団のコンセンサスがどこにあるのか、みんなで探り合ううちに、実体がまったくない中心が生まれる。
全員が得体が知れない中心に、寄りかかる。コンセンサスが世界のどこにもないものであって、実体を欠いていても、一人歩き始める。現実から遊離しているのに、壊すのがきわめて難しい。
戦後のコンセンサスは現憲法から自虐史観まで、怪しげなものが多い。今日の日本には呪術があって、論理がない。
 
菅首相の最初の記者会見では、国防と教育に触れることがなかった。首相から国民まで、夢遊病者となってさまよっている。
   
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