さあ、泣いても笑っても明日が参院選の投開票日となりました。各党の幹部、候補者らはいま、祈るような気持ちでしょうね。というか、ずばり神仏だか何だかにそれぞれ祈っているでしょう。私も3年前の参院選時は、この選挙の帰趨がそのまま日本の将来に直結する、場合によっては日本は10年は時を失うと考えていたので、かなりはらはらしながらじっと見守っていました。
でも、すでにその結果が出てしまった今回は、割と冷めた、突き放したような気持ちで淡々と見ています。特定選挙区には強い関心がありますが、あまり一喜一憂するような気分ではありません。
まあ、投開票の前日にあれこれ書いてももう仕方がないので、本日は勝海舟の「氷川清話」(江藤淳、松浦玲編)を読み返していて、何となく現在の気分に合うなあと感じた文を二、三紹介してお茶を濁します。いつの時代も人間は変わらないものです。
■真の国家問題
今日は、実に上下一致して、ドウやって此の東洋の逆運を切り抜けようかと肝胆を砕かねばならぬ時で、国家問題とは、実にこの事だ。今頃世間で国家問題といつて居るのはみな嘘だ。あれはみな、自分の頭の上の計算(カンジョウ)ばかりだ。今日の場合、議員の頭の揃ふ揃わんのと気を揉むのも、あまり賞めたことではあるまいよ。
幕府の末に、いろいろ当局者の頭を痛めたのも、畢竟、この国家問題のためだ。あの頃もずいぶんやかましかったが、三十年後の今日も、やはり昔の通りだ。おれも国家問題のためには、群議を斥けてしまつて、徳川氏三百年の幕府をすら棒に振つて顧みなかつた。当時には、一身の死生はもとより、徳川氏の存亡も眼中にはおかなかつたが、おれの生き残つたのも、徳川氏が七十万石の大名になつたのも、今から考へると、まるで一場の夢サ。
■気運は恐ろしい
世の気運が一転するには自ずから時機がある。昔西洋人は七の数をもつてこれを論ずると聞いたが、これは真だろうヨ。いつか、おれはかういふ文を作つた。
人心漸く移転せんとする前先づその機動くの兆顕然として生ず。機先転じて漸く顕著ならんとす。此際人心穏やかならず、論争紛々、彼我得失を争ひ、誹謗百出、旧主改良を論ずるもの三、四年、或は五、六年究極なきを。或は有力者あれば其説に附和雷同して団結の勢を生ず。
気運といふものは、実に恐るべきものだ。西郷でも、木戸でも、大久保でも、個人としては、別に驚くほどの人物でもなかつたけれど、彼らは、王政維新といふ気運に乗じてきたから、おれもたうとう閉口したのヨ。しかし気運の潮勢が、次第に静まるにつれて、人物の価も通常に復し、非常にえらくみえた人も、案外小さくなるものサ。
…まあ、私は今後も、その各政党、議員の「自分の頭の上の計算」や「あまり賞めたことではない」ことを熱心に記事にしていかなければならないわけで、いまさら「一場の夢」うんぬん言う資格も何もないのですが。さて、現政権の「気運の潮勢が静まる」スピードはこれまででも最速の部類に入るわけですが、国会が「小さい」人ばかりになってもなあ。勝海舟はこうも言っています。
■人材は製造できない
全体、政治の善悪は、みんな人に在るので、決して法にあるのではない。それから人物が出なければ、世の中は到底治まらない。しかし人物は、勝手に拵へうといつても、それはいけない。世間では、よく人材養成などといつて居るが、神武天皇以来、果して誰が英雄を拵へ上げたか。誰が豪傑を作り出したか。人材といふものが、さう勝手に製造せられるものなら造作ないが、世の中の事は、さうはいかない。人物になると、ならないのとは、畢竟自己の修養いかんにあるのだ。決して他人の世話によるものではない。
…参院選後は忙しくなりそうですが、私は今年は何があろうと、周囲や上の顰蹙を買おうと夏休みをきちんととるつもりでいます。この世の中は結局、なるようになるとしか言いようがない場所なのでしょうから。
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5896 参院投開票前日・勝海舟を読み返してみる 阿比留瑠比

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