5978 池田内閣の成立と退陣から菅政権を占う 古沢襄

岸番の駆け出し政治記者が、岸首相の担当記者になり、池田内閣の時に宏池会(旧池田派)の派閥担当になったというと、不思議がられる。しかし政権発足の当初は不思議でも何でもなかった。池田内閣は岸派の全面的な後押しで成立した。世にいう官僚派と党人派の抗争の末に出来た内閣であった。
しかし岸さんは実弟の佐藤栄作さんの内閣を作るための”つなぎの短期政権”という位置づけでいた。池田首相の側近は、タカ派の岸政権からハト派の池田政権というイメージ転換を図って長期政権を目論んだ。大平官房長官、伊藤首席総理秘書官らが、本来はタカ派色がある池田勇人氏を”寛容と忍耐”のイケダに変える役割を担った。
岸さんは岸派を福田派、藤山派、川島派に三分割している。政権の座をおりたのだから、岸派を維持する資金が得られない。三分割は合理主義者だった岸さんらしい発想である。だが三分割によって藤山派、川島派は池田派に近づき、また党人派も池田派寄りとなった。
政治の世界は合理主義だけで律することは出来ない。人間の集団だから情と利益で如何様にも変わる。多数派となった池田政権は、岸、佐藤、福田を尻目にかけて所得倍増政策で国民の支持を得て、長期政権に向けて走りだしている。
私は相変わらず宏池会の派閥記者をやりながら、日曜日には御殿場に籠もった岸さんのところに通う”二足の草鞋(わらじ)”を履いていた。日に日に池田批判に傾く岸さんと付き合ったが、御殿場を訪れる政界人もほとんど無くなっていた。
この頃、池田さんの弟分といわれた前尾繁三郎さん邸に足繁く通った。政治家らしからぬ読書人で「政治は時計の振り子。岸政治で右に振れた振り子が左に振れ戻ったが、いずれ右に振れる」と独自の政局論を言って、私を煙に巻いた。
反池田を鮮明にして高度経済成長政策を批判した福田赳夫さんと前尾さんが定期的に赤坂で会合していると聞いたのもこの頃。宏池会の内部では前尾さんと大平さんの確執が噂される様になっていたが、その大平さんも佐藤派の田中角栄さんと頻繁に会っていた。
首相官邸にいると内閣の表面的な動きしかみえない。伊藤昌哉さんは「政権の動きは党をみていないと分からないよ」といみじくも言っていた。前尾繁三郎、宮沢喜一、伊藤昌哉さんらは、田中・大平盟友を危険視し始める。
鳩山政権は六ヶ月半で崩壊し、菅政権も参院選の大敗で危機に立った。政界の裏舞台では今期かぎりで政界引退を表明した筈の鳩山前首相が、小沢一郎、輿石東ら重要人物と会談した。その後、菅首相とも会った。表面的には鳩山氏は菅首相の続投を支持しているという。小沢氏は沈黙を守っているかにみえる。
果たして水面下の動きはどうなのであろうか。まだ本当の流れはみえてこない。
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コメント

  1. keisuke oohashi より:

    むかし、むかしのお話ですが、おもしろく読みました。

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