あすから始まる猛暑の8月政局は、何が起きるか見当もつかない。そんな折に、と言われるかもしれないが、そんな折だからこそ、ぜひとも紹介したい。
水田三喜男(1905~76)は戦後1回目、46年の衆院選で政界入りし、吉田、石橋、池田、佐藤各政権で蔵相、通産相などを歴任した。高度経済成長期の立役者である。
このユニークな党人派の人柄を短い行数で描くのはむずかしく割愛するが、夫人の清子(せいこ)は98歳でいまも健在だ。このほど、「白鳥」「高麗堤」「石蕗の花」「安房山」に次いで、第5句集「九十九里」を刊行した。
清子は、水田が65年に政務のかたわら創立した城西大学の経営を引き継ぐ(現名誉理事長)一方、40年来の俳句歴がある。「九十九里」は92年、水田の選挙区(旧千葉3区)だった千葉県東金市に清子が城西国際大学を併設してから03年まで、九十九里地域の自然を材にとったものだ。
俳人協会会長で毎日俳壇の選者でもある鷹羽狩行(たかはしゅぎょう)は、清子の句集に序文を寄せるに当たって、
「私は、これまで中曽根康弘さん、宇野宗佑さん、藤波孝生さんと3人の政治家の句集出版にも携わった。だから、水田さんのも私の仕事だよ。私が若いころ、先輩たちにくっついて水田三喜男先生に俳句文学館建設の陳情にお伺いした時に、末席にいたご縁もあるからね」と語ったという。
名前が挙がった3人の代表句をとりあえずご披露すると。
中曽根元首相、引退のころ--。
くれてなお命の限り蝉しぐれ
宇野元首相、初出馬時--。
一念の出馬発止と菊の雨
藤波元官房長官、政治信条--。
控へ目に生くる幸せ根深汁
3人だけでなく、かつて政界には俳句好きの議員が多く、<平河句会>が催され、水田もその一人だった。会長は党人派の総帥、大野伴睦(自民党副総裁など)が務めている。
この句会を指導した、昭和を代表する俳人、富安風生(1885~1979)は、宇野の句集「王廟」(市ケ谷出版社・63年刊)の序文に、
<政治家がもっと俳句を作るようになれば、日本の政治の世界は、いまよりもだいぶ明るい感じのものになるのではないだろうか。
少なくも、俳句をたしなむ政客が、俳句のために、世間から一段と親愛感を抱かれている事実があると思うのは、必ずしも俳人たるわたしの身びいきのみでもあるまい>と控えめに俳句のすすめ、それが政治を少しでも変えるかもしれない期待を記している。
水田清子は40年前、富安に師事し、主宰誌「若葉」に投句していた。政治家夫人として選挙活動などを手伝いながら、かつての政界の俳句熱を受け継ぐように句作を続け、98歳にして句集を出す。
清子の出版は、政治家にとって心のゆとりが大切なことを教えている。句と文に<亡夫>という言葉が頻繁に出てくるが、亡夫の水田は教育に情熱を注ぎ、浮世絵収集家でも知られた趣味人だった。
「九十九里」から一句。
海光を抱へて海女の若布(わかめ)干す
海光(海面が放つかがやき)は人が抱えきれるものではないが、それを<抱へて>と把握したのが秀抜、と鷹羽狩行が褒めている。(敬称略)
杜父魚ブログの全記事・索引リスト
コメント