6006 8月1日、慰霊の月に入った 西村眞悟

やはり、8月に入ると、慰霊の月に入ったと感じる。不思議なことであるが、そう感じるのだ。昨日7月31日は、佐賀市において、「国家の再興」に関して約二時間話をする機会をいただき、努めさせていただいた。
この会は、「佐賀土曜セミナー」といわれる会で、佐賀の高士、松永又次氏が、昭和48年3月24日、共産党に支配される佐賀高教組に反対する教員有志を集めて、村松剛さんを招いて講演会をしたのが始まりで、現在まで146回の歴史をもつセミナーである。
昨日のセミナー参加者は、もちろん佐賀の方々が大勢おられるが、長崎、福岡、大分そして宮崎という九州各県からも集まってこられていた。
東京の永田町に、実りのある祖国への愛をもつ人々の集う講演会はないが、佐賀にはある。これが、東京を見ているだけでは分からない日本の力である。
講演を終え、有志の皆さんと夕食を頂き、佐賀城のお堀端の宿でよく寝て、朝、空路大阪に戻った。すると、本日8月1日、すなわち、慰霊の月に入ったのだと感じた次第だ。
まことに、昨日の佐賀土曜セミナーにおける講演でも述べたが、我が国の国民には、現にいま生きている国民だけではなく、過去に生きた国民、国を守るために戦い散華した国民そして未来に生きる国民が含まれている。その全国民のために、我々は、我が国家を守り続けなければならない。
従って、国を守るために戦い散華した国民のことを忘れてはならない。近隣諸国に迎合して、自国の為に命を捧げた人々の「物語」に今のように蓋をしてはならない。
我々は、「記憶の民」である。ユダヤ民族が、紀元73年に、ローマの奴隷になるのを拒否して玉砕した約千名のユダヤ人を今も忘れないように、我々も、大東亜戦争における英霊を忘れない。
英霊を忘れなければ我が国家は安泰である。忘れれば滅びる。すなわち、日本人は他国の奴隷になる。八月は、このことを深く自覚する月である。ここに八月十五日の、靖国神社参拝の意義がある。
さて、佐賀に向かう前に、このコンピューター不調のため入力できなかったのであるが、千葉法務大臣の「死刑見学」について遅ればせながら一言述べておきたい。
まず、私は、死刑制度については、それを是とする者である。死刑を廃止すべきであるとは思わない。その上で、千葉景子という者に、見学される中で死刑を執行された二人に死刑囚が気の毒でならない。
何故か。それは、彼らが「公開処刑」されたからである。
 
北朝鮮や中国共産党の処刑は、公開で人を殺す。これらの国では、見学者が、「人が殺されるとき、どんなんかなー」という好奇心で押しかけて処刑を見つめ、人が死ぬのを見てから「あーいやだ、死刑はいやだ」と得心してあのようになってはならないと思う。こういう「教育効果」を期待し、何よりも権力者が権力を誇示して処刑を公開している。
 
さて、千葉景子であるが、この者は、死刑には反対である。ところが、法務大臣であり、死刑執行命令を下す立場にある。
そこで、彼女はこう考えた。一度死刑を見学し、死刑の惨たらしさを実際に見た者として死刑反対論を展開すれば、説得力が格段とますであろう。そして、一般人にも、処刑場を公開すれば執行の惨たらしさは想像してもらえるであろう。
このたびの二人の死刑囚は、自らの死によって罪を償わねばならない立場にあった。しかし、彼らが強制されるのはそれだけであって、死刑反対のおばはんの好奇心を満足させるために、さらに、後日の死刑はんたい論議の参考とするために、「自分の死に様」をこのような者にのぞき見されるという屈辱を強いられるいわれは全くない。千葉景子も法律家なら、それくらいの節度は分かるはずだ。
千葉景子は、二人の死刑囚の「死の尊厳」すなわち「命の尊厳」を辱めたのだ。死刑反対の左翼でありどういう訳か法務大臣であった千葉景子が、落選しても大臣を辞任せずに死刑を執行し、それを見学したと報道で知ったときに、彼らはかわいそうに「公開処刑」されたと思った。
考えてみれば、公開処刑をしている中国共産党も、北朝鮮労働党も、千葉景子も、皆左翼、唯物主義者である。そして、ともに権力にしがみついて酔う者である。
死刑を見学しているとき、千葉景子は、身を拘束された「この小さき者」に対する権力を実感し快感に満たされたのではないか。
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