朝日新聞記者だった評論家の稲垣武氏が亡くなりました。 稲垣氏は朝日新聞の偏向を批判してきたメディア評論家でした。
月刊誌「正論」で長年にわたってマスコミ比較論を展開したジャーナリストの稲垣武(いながき・たけし)氏が5日、多臓器不全のため死去した。75歳。通夜、葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は妻、洋子(ようこ)さん。
京都大文学部卒業後、昭和35年、朝日新聞社に入社。整理部長や週刊朝日副編集長を歴任した。独立後はジャーナリストとして活躍。朝日新聞の報道姿勢や進歩的文化人の欺瞞(ぎまん)や病理を指摘しつづけた。著書「悪魔祓いの戦後史」で平成6年、第3回山本七平賞を受賞。8年から月刊誌「正論」で新聞各紙の論調を比較考察する「マスコミ照魔鏡」を20年6月号までの143回にわたって連載した。
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私も稲垣氏を存じあげていました。個人的な親交はなかったですが、ともに「朝日新聞の大研究」(2002年、扶桑社刊)という書を共著で出版しました。朝日新聞の偏向や誤報を詳しく報告し、分析した本でした。
しかし稲垣氏の業績については産経新聞の一面コラム「産経抄」も書いています。
■【産経抄】
75歳で亡くなった稲垣武さんは「週刊朝日」副編集長などをつとめた元朝日新聞の記者である。だがその真骨頂は退社後のマスコミの比較批判にあった。特に「文化大革命」期の中国報道など、朝日の論調に対する批判には容赦がなかった。
▼産経新聞との本格的つきあいは、平成7年9月から約2年半書いていただいた「紙面批評」に始まった。その窓口役をつとめたのだが、産経の北朝鮮報道などを評価しながら、なお不満な点を鋭く指摘される。その揺るぎない視線にはいつも恐れ入った記憶がある。
▼もうひとつ、感服させられることがあった。原稿に「剔抉(てっけつ)する」「猖獗(しょうけつ)を極める」「諧謔(かいぎゃく)」など戦後生まれには読み書きできない用語がポンポン出てくる。「あばく」「盛んだ」「ユーモア」などと換えてみても、稲垣さんの文章にはやはり元の言葉がピッタリきた。
▼一世代前の新聞記者の教養というものだろう。それに、戦後こんな漢字を放逐してしまった国の文化行政や、これに黙って従ったマスコミへの稲垣さんの批判が込められていたような気もする。根っから反骨精神に満ちたジャーナリストだった。
▼平成8年に始まった月刊誌「正論」の「マスコミ照魔鏡」は一昨年6月、病気でやむなく降板となった。その直後、自宅でやはり朝日新聞OBの本郷美則氏と対談した。中身は「なぜ朝日の偏向報道はやまないのか」として20年11月号の「正論」に掲載された。
▼稲垣さんは酸素吸入をしながらの対談だったという。憲法9条に依存する朝日を「独りよがりだ」と批判しこう結んだ。「(北朝鮮の日本への武力攻撃を)阻止しているのは九条ではなく日米安保です」。遺言として受け止めたい。
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稲垣氏の代表作は「悪魔祓いの戦後史」だったといえます。戦後の日本で左に傾いた 言論の虚構や虚偽を実証的にあばいた本でした。
稲垣氏の死は朝日新聞はやはり報じませんでした。氏のご冥福を祈ります
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6054 朝日新聞記者だった稲垣武氏を悼む 古森義久

コメント
消えた年金で泣いている日本国民へ 愛を込めて
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領収書、証拠の書類がある時の具体的な対応です。
これは極一部の公務員です。 大勢の公務員はまじめに働いています。
キクは国民とともに ヒロユキ復活