今朝、少し時間があったので自宅で古い取材ノート(取材メモの類は、万一裁判になった際の証拠となるので、私は原則捨てません)をひっくり返していたところ、平成8年にインドネシアで慰安婦問題を取材した際の資料が出てきました。
これは、産経紙面やこのブログでも何度か取り上げたことがある仙谷由人官房長官の「友人」にして、戦後補償の仕掛け人とも呼ばれるいわゆる人権派弁護士、高木健一弁護士にあてられた書簡で、差出人はインドネシアの元兵補中央協議会のタスリップ・ラハルジョ会長です。
兵補とは、かつて日本軍政時代に補助兵として採用されたインドネシアの人たちで、もともと日本政府に未払い賃金の支払いを求めていました。それが、平成7年ごろから直接関係のない元慰安婦の賠償要求のため、元慰安婦の登録作業を始めたのです。
この問題に関しては、以前のエントリと内容が重なる部分がありますが、せっかくなので、本日は重複を避けずに記すこととします。なぜ、兵補協議会が慰安婦の登録作業を開始したのか。平成8年11月、ジャカルタ郊外の事務所で取材に応じたラハルジョ会長はこう語りました。
「東京の高木弁護士から『インドネシアで慰安婦登録するために、兵補協議会に権限を委譲する』と指示を受けて始めた。『早く登録を完成してくれ』と催促も受けた。(兵補協議会が実施した登録者対象のアンケートは)高木弁護士の文案で作成された」
余談ですが、この事務所の近くの林(?)内で見たおそらくアラブ系の十代と思える少女の伸びやかな様子と笑顔がとても印象に残っています。インドネシアはイスラムの戒律が割とゆるいためか、まだ本当に幼いせいか宗教が違うのかチャドル姿ではなく、どこか日本のセーラー服に似た装いでした(別にセーラー服好きではありません、念のため)。
高木氏に関しては、やはり最近、紙面やブログでサハリンでの残留韓国人支援問題での暗躍を取り上げてきましたから、それも参照にしていただければ幸いです。ともあれ、平成8年にインドネシアで取材した元日本兵で先の大戦終結後はインドネシアに残り、独立戦争に加わった石井サトリア氏はこんな経緯をこう指摘しました。
「慰安婦問題が浮上したのは三年前、日本から三人の弁護士が来て地元紙に広告を出し、慰安婦補償のために日本から来たので面接したい。名乗り出てくださいと告知したからだ」
また、ラハルジョ会長は高木氏らの提案に乗ってはみたものの、思うように効果が出てこないので最近は高木氏に不満を漏らしているという趣旨のことも述べていました。で、下の写真が私の取材の約1カ月後の平成8年11月20日付で、ラハルジョ会長が高木氏に送った書簡です。
インドネシア語で書かれているため、私には読めませんが、情報を提供してくれた関係者によると、「慰安婦問題が日イ間で不穏な状態になっても兵補協議会は責任を取らない。問題を提起したのはあなた方からだ」という意味合いのことも述べられていると聞きました。読める方は判読してみてください。(古沢襄注記=写真は阿比留瑠比氏のブログを見て下さい。http://abirur.iza.ne.jp/blog/)
ちなみに、兵補協議会は2万人以上の元慰安婦を名乗る登録者を集めましたが、当時83歳でその時代のことをよく知るインドネシアの元国会議員で老舗英字紙「インドネシア・タイムズ」のジャマル・アリ会長はこう一蹴しました。
「2万人?ばかばかしい。1人の兵隊に1人の慰安婦がいたというのか。我々の独立のために犠牲になった人(元日本兵)もたくさんいたんだ。独立戦争の際に武器を求めたら、日本は武器も渡してくれた。いま金をくれという必要はない。そんなこと、(インドネシアを400年植民地支配した)オランダにだって言わない。プライドの問題がある」
もちろん、このアリ氏のような見方・考え方がすべてではありませんし、ラハルジョ氏のような立場も、また全然異なった意見だってあるでしょう。でも、どこかの国や民族を、一方的に日本の被害者であり、支援しなければならない可哀想な人たちだと決めつけるのは、実は相手を貶め、バカにしているにすぎないと愚考します。
また、歴史問題に限らず、個人間でも国家間でも、物事には「完全な解決」などありえないとも考えています。ある事象をどう受け止め、解釈するかはそれぞれの自由であり、また知識・見識の多寡によっても変わるものだから、完全な歩み寄りは一方の従属をしか意味しないだろうと。
であれば、いちいちすべてを解決しようと焦るよりも、持病と向き合うときのように、一定の困難や障害は抱えつつも、それを覚悟し、うまく付き合っていけばいいだけではないかと思うのです。もちろん、こうした私の視点に同調しろという気もありません。
私は、一つひとつのことをいちいち定義付けたり、白黒つけたりすることにあまり意味を見いだせません。いろいろな「あいまい」なものを抱え、混沌の中で見つめつつ、それがいつか頭の中で発酵なり昇華なりして一つの考えにまとまればいいとは思います。第一、その場その場で即断できるような頭の回転速度は持っていませんし。
ただし、ここは私のブログなので、こうして見聞したことや入手した資料を示しつつ、感想程度のことを付け加えるのは、どうかお許しいただきたいと思います。それもダメであるならば、こんなことやっていられないという気がいま率直にしています。
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コメント
日本人の武士道的美学、素晴らしい無形資産でありますが、戦後教育でだいぶ薄らいだのでしょうか。法律家は最初に法哲学を学び、持ちうる力を暴挙的に間違っても使用しない理念を深く持つはずです。売国奴として法律を振り回す輩が出ようとは、高い地位を任された人物が恥を忘れてよいのでしょうか。