6153 小沢氏の変わらぬ手法と菅首相の無為無策と 阿比留瑠比

それにしても、民主党の小沢一郎前幹事長という人は、本当に昔から相も変わらずいつも同じようなやり方をするものですね。呆れるやら感心するやらです。私は、今回の代表選で今度こそ、この古い小沢支配の構図から政治から脱却できればと期待したのですが…あーあ。
①自らはほとんど発信せず、一方で周囲に憶測を流させ、疑心暗鬼を広める。それによって、幽霊に怯える人間の精神構造を利用して自分を実態以上に大きく見せ、譲歩を引き出す。また、事実上、何も言っていないに等しいので、後に行動を批判された際は「俺は何も言っていない」と開き直り、常に自己正当化を図る。
②相手と「会う」「会わない」自体をカードに使い、会談が実現したら会ってやったと恩を着せ、その時点で優位に立つ。譲歩が得られそうだと踏むまでは話し合おうとしない。条件を呑まないと首脳会談に応じないという中国や北朝鮮がよくやるやり方が常套手段。
③自自連立の際には、連立離脱カードをたびたびちらつかせ、山崎拓に「オオカミ中年」と仇名された。結局、小渕恵三首相が自自合流(小沢氏の自民党への受け入れ)を呑まなかったので出て行ったが、後の民主・自民の大連立騒動を彷彿とさせる。結局、自分の権力と権勢の拡大を狙っているだけ。
…この暑いのに、こんな三文芝居を必死に追いかけている自分が、バカみたいであります。政治家はよくこういう政局になると、われわれに「書くことがいっぱいあっていいじゃない」などと言いますが、別にこっちは嬉しいわけでも何でもありません。むしろ、もっと大事だと思うことや、関心を抱いているテーマを載せる紙面スペースも、それらを取材・執筆する時間もなくなるので本当に迷惑なのです。
《政府は全然決意することができないのである。さもなければ首相に決意させることができないのである。そのために政府は奇妙な逆説的言辞を弄し、単に決定せぬための決定をし、決断せぬための決断をし、成行きのままに任せ、流動するままに放置し、無為無策のために力を傾けている》(チャーチルの1936年12月12日の演説)
菅直人首相はよく、「モグラたたきの政治家」だとも言われます。大局的な発想や、大方針はなくて、ただ目の前の事象に反射的にモグラたたきゲームのように飛びつくというのです。そして、弥縫策だけを行い、まあそれでも内閣支持率は上がっているんだからいいじゃないかと思考停止し、愚者の楽園ができるだけ長く続くことを祈ると…。
杜父魚文庫

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