《私が嘘と呼ぶのは、見えるものを見まいとすること、あるいは見えるとおりには見まいとすることである。(中略)ところで、この見えるものを見まいとすること、あるいは見えるとおりには見まいとすることは、何らかの意味で党派的であるすべての人にとって、ほとんど第一条件ですらある。党派人は必然的に嘘つきである》(ニーチェ「反キリスト」)
昨日は、民主党の代表選をめぐる菅直人首相と小沢一郎前幹事長の公開討論会に行ってきました。感想は、今朝の産経政治面で書きましたが、まあ、どっちも「虚ろ」だなあというものでした。貫禄は、さすがに小沢氏の方に軍配が上がりますが、無理のあるつくり笑顔がときどきひきつっていました。菅氏は、己の「小ささ」と無内容さを赤裸々にさらしていました。
で、今朝、夕刊当番のため会社に来てみると、政治部宛に読者(?)から、怒りの手紙が2通届いていました。一つは、日刊ゲンダイの記事を同封してあり、「8月27日の同封記事をよみ、まったく情ないが今の我等の日本のマスメデヤは同封の記事の通りで…」とあり、要は新聞はデタラメであり、事実などはどうでもよく、だから民主党の小沢一郎氏をたたいているのだ、という趣旨のものでした。
もう一通も、やはり日刊ゲンダイの記事と私が書いた民主党解剖の記事を同封し、マスメデヤは「悪い事は全部小沢に押しつける」「あわれなサンケイ、こんなアホ新聞しか日本にないのか。なるほどと思う新聞は今の所夕刊現代」と記してありました。
…まあ、何をどう考えようと自由ですし、その考えを表明することもまた好きにしてもらってかまいません。われわれは、その材料を提供し、一定の価値はあると判断していただいた読者から対価を得ているだけですから。読む読まないは個々人のまったくの自由ですし、それと同時に、当然のことながら私にも見方も意見もあれば、それを述べる権利もあることでしょう。
…と、そんなことをぼんやりと思いながらテレビ朝日の小沢氏が出演した番組を眺めていると、自分は潔白だと主張する小沢氏を鳥越某だとか山口某だとかが盛んに持ち上げていました。その、まるで小沢氏の勝利が決まったかのような興奮ぶりを見ながら、小沢支持の弊紙読者(?)もそんなに心配することないのにな、と考えました。
そして、言論の自由が保障された日本という国は本当によい国だなあと、この国の先行きに思いをはせつつ、そう改めて感じた次第です。なんだかなあと。
《狂気は個人にあっては希有なことである。しかし、集団・党派・民族・時代にあっては通例である》(ニーチェ『善悪の彼岸』)
杜父魚文庫
6178 読者(?)が送ってきた日刊ゲンダイ切り抜きと言論の自由 阿比留瑠比

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