オバマ大統領が8月31日、イラクの米軍の戦闘任務終了を宣言しました。7年半ほどにわたり続いてきたイラク戦争の終わりだともいえます。より正確にはアメリカなどによるイラクの軍事介入の一応の終わりでもあります。
この戦争はもっぱら「負」だけが強調されています。しかしその軍事介入の結果、アメリカや国際社会が得たプラスもあるのです。たとえば、イラクという中東の要衝にテロを平然と支持し、大量破壊兵器を使用し、自国民を奴隷のように扱う専制政権があったわけですが、そのサダム・フセイン政権が消滅したのです。しかもその後には民主主義を基盤とし、アメリカや欧州に穏やかな顔を向ける一応の民主主義国家が誕生したのです。そのへんの実態をまとめ、イラク戦のアメリカにとっても意味をもう一度、考えてみました。
■イラク平定 成功の理由
「あなた方すべての優れた軍務のためにイラクはよりよい未来を生み出す機会を得ました。そして米国はこれまでより安全になりました」
オバマ大統領が8月31日、テキサス州のフォートブリス陸軍基地でイラクから帰ったばかりの米軍将兵に語った言葉である。米軍のイラクでの戦闘任務終了が宣言された日だった。大統領は同基地からすぐワシントンにもどり、ホワイトハウスから全米向けにその宣言の演説をした。米軍将兵がイラクで立派に任務を達成したことを、特に礼賛した。
冒頭の言葉を文字通りに解釈すれば、米軍の介入の後、イラクは「よりよい未来」への機会を得て、米国は「より安全」になったのだから、介入は正しかったことになる。米国のイラク戦争は正当だったという判断がにじんでくるわけだ。大統領は演説でも、7年余りの戦争を総括するのに、勝利とも敗北とも断じず、成功とも失敗とも区分しなかった。だが、米軍将兵の「任務の達成」をくどいほど強調することでどうしても勝利とか成功という評価がぼんやりながら浮かびあがってくる。
ところがオバマ氏は上院議員としても大統領候補としても、イラク戦争は間違った不当な軍事介入だとして反対し続けた。その反対や否定はいまどこへいったのか。この点はちょっとしたパズルである。
ブッシュ前大統領が始めたイラク軍事介入は、反対派が叫び続けたイラクの内戦や国家分裂を招きはしなかった。イラクと米国の両方に痛ましい犠牲をもたらしたが、なお米国の意図通り残虐と独裁のサダム・フセイン体制が倒され、曲がりなりにも民主主義国家が誕生した。中東の戦略要衝に親米欧の穏健国家が生まれたことの意義は大きい。だがこうした側面は米側の「フセイン政権は大量破壊兵器をすでに備蓄」という当初の主張が的外れだったことへの猛反発でかき消された観があった。
米軍が戦闘部隊をすべて引き揚げるところまでイラクの平定に成功した主因は、2007年1月にブッシュ前大統領が決めた2万人の米軍増派だというのは、もはやコンセンサスとなった。この増派で米軍はテロ勢力に対し果敢に打って出る作戦に切り替え、功を奏したという。オバマ氏はこの増派にも激しく反対したが、大統領になってからは増派を礼賛するようになった。平定の現実に圧されての立場の逆転だった。
ブッシュ前大統領の国家安全保障補佐官だったスティーブン・ハドレー氏は米国大手紙に「米国はイラクでなぜ戦い、なにを成しとげたか」という論文を寄せ、「米国の国家安全保障に20年にわたり脅威を与えたフセイン政権の除去」をまず成果として挙げていた。同政権が隣国を侵略し、大量破壊兵器を実際に使用し、中東地域に危険を生み、国連を無視した事実を列記していた。同時に国民を圧政から解き、対外的に危険な行動をとらない民主国家の土台を築いたことも成果だとしていた。
オバマ大統領は、この民主主義の新生国家イラクへの戦闘以外での米国の支援の継続も誓約した。もちろんイラクの将来は予断を許さない。だが、国際社会の日本をも含む多数派の利害や価値観に沿う新生イラクの存在はいまや否定のしようがない。そのイラクの成功は、米国の軍事介入になにがなんでも反対してきた側にとっては「不都合な真実」となりつつあるのかもしれない。
杜父魚文庫
6180 アメリカがイラク戦で得た成果 古森義久

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