民主党のクリーン問答はぜひとも続けてもらいたいが、この言葉、権力闘争の小道具に使われている印象もある。なぜなら、菅直人首相は、3カ月前の鳩山由紀夫前首相と小沢一郎前幹事長の道連れ辞任を、
「最上級のけじめだ」と高く買った時期があった。道連れで2人のカネの問題はクリアか、と受け取った向きもある。ところが、代表選に入ると、一転、
「それ(辞任)を超えて、代表や首相をやりたいなら、しっかりした説明が必要だ」と野党党首的な小沢追及に切り替えた。要説明はその通り、しかし、一貫性に欠ける。また、鳩山は、辞任に際して、
「とことんクリーンな政党を」と訴えていたのに、非クリーンとみられる小沢支持に回った。大義、恩返しでつじつまを合わせようとしている。
何を言いたいかといえば、これまで<政治とカネ>をルーズに扱ってきた鳩・菅・小トロイカなれ合いの構図とそれを許す民主党の未熟さがあった。急に菅クリーン、小沢非クリーン、と仕分けして、はい次、で片づけられるほど軽いテーマではない。
歴史を振り返る必要がある。東久邇稔彦から菅まで戦後32人の歴代首相のうち、<クリーン>という言葉がもっとも似つかわしいのは三木武夫(1907~88)だった。三木の筋金入りの反金権闘争には、生涯を懸けた迫力があった。
88年11月14日、81歳で死去した時、衆院本会議で追悼演説に立った社会党の土井たか子委員長は、こう述べている。
「徳島商業在学中に全校ストライキを指導し、放校処分を受けておられますが、それは野球部の資金集めに絡んだ学校当局の不正を糾弾したものでありました。
まさに栴檀(せんだん)は双葉より芳しと申すべく、ここには三木少年の後年に至るまで変わらぬ不正を憎む心と政治指導者としての資質がありありとあらわれていた。……
党内唯一のクリーンな政治を行う人として、党内外の衆望を担い、昭和49年、第66代の内閣総理大臣に、……」
少し長い引用になったが、いま読んでも胸に響く。
三木は37(昭和12)年、大学から国会に直行し、以来死の直前まで51年、<議会の子>を自負した。初出馬の第一声は、
「断じて不正にくみせず、誓って不善をなさず」だった。
若い政治家をつかまえては、あの特異な渋い声で、
「カネがほしけりゃ商人になればよいのだ。政治家は一般の人と違って、大きな権力を持っている。国民が知ることができない情報を持っている。
これらの特権を利用して政治家がカネもうけをすれば、国民はどう思うだろうか。額に汗して、まじめに働くのがいやになるだろう。そして、国は滅びるのだよ」と口ぐせのように同じセリフを繰り返したという。
金権批判で政権を去った田中角栄元首相が、一番恐れた政治家は三木、と言われた。<田中支配>という言葉を最初に使ったのも三木だった。
そんな三木に対し、融通がきかない、堅すぎる、と忠告する人もいた。晩年、睦子夫人が、
「50年、一つも成長してないみたい」とからかうと、
「何を笑っているんだ」とむきになったという。
クリーン三木のいちずさが貴重だと改めて痛感する。度重なる<三角戦争>(三木と田中)は、血の出るような激闘だったことを思い起こす。いま、菅と小沢の間に、その激しさがあるのか。(敬称略)
杜父魚文庫
6181 三木が教えた「クリーン」 岩見隆夫

コメント
クリーン ?って虚像なのかもですね。
官房機密費問題はどこえやらって感じですから。
もはや、マスコミ関係の方々がクリーンと言われるのが
むなしくなりますね。