■1940年(昭15) 元34歳・真喜31歳・襄9歳
*5月6日,菊池寛が提唱した文芸銃後運動の講演会が始まる
◇7月10日,内務省は左翼の出版物に対する弾圧を強化
◇7月,池田源尚・倉光俊夫が『麦』を創刊。古澤元も参加(作品発表は第2号から)。創刊号掲載の池田源尚「運・不運」は改造社の第12回文芸推薦賞を受賞,倉光俊夫は1942年11月『正統』に発表した「連絡員」で下半期の第16回芥川賞を受賞
◇このころ,小説「卯女」を『麦』に発表
◇このころ,小説「えびす講」を『麦』に発表
◇このころ,小説「うし」を『麦』に発表
◇9月,元は小説「紀文抄」を『麦』第3号に発表。1940年下半期・第12回直木賞の候補となるが落選
*9月23日,日本軍が仏印に進駐
*9月27日,日独伊三国軍事同盟が締結される
*10月12日,大政翼賛会が発会。橋本欣五郎が総務に任命される
*10月19日,岸田国士が大成翼賛会の文化部長に就任
◇10月,元は自叙伝的小説「少年」を『麦』に発表
◇11月,元は自叙伝的小説「続少年」を『麦』に発表
◇このころ,元は小説「家鼠」を『麦』に発表
*1月10日,紀元2600年式典
◇11月,橋本欣五郎が思想団体の大日本赤誠会を結成。古澤元は武田麟太郎の紹介で赤誠会の出版局に就職
■1941年(昭16) 元35歳・真喜32歳・襄10歳
◇1月,日本青年文学者会が結成される
◇2月15日もしくは25日?,日本青年文学者会の発会式が行われる。古澤元は常任委員に就任
◇3月?,元はエッセイ「青年文学者会の性格――文芸翼賛に関するエッセイ」を『麦』第7号に発表。この第7号から金沢の朝山洋太郎が『麦』に参加
*3月1日,国民学校令が公布される。小学校は国民学校と改称
◇4月15日,元は青年文学者会の会報第2号に「国民文学」返上論を発表
◇5月,真喜の祖父義哉が死去,享年79
◇6月?,元はエッセイ「常道を往く」を『麦』第12号に発表
◇7月?,元はエッセイ「病気その他」を『麦』第13号に発表
*7月,隣組が組織される
◇8月?,元はエッセイ「頓死の言葉」を『麦』第14号に発表。『麦』はこの第14号を最後に戦時雑誌統制のため休刊
◇10月,『日暦』が第21号で戦時雑誌統制のため休刊
*10月16日,第3次近衛内閣が総辞職
◇10月17日,戦時雑誌統廃合により五十数誌の同人誌が8誌に統合される。『麦』は『木刀』『散文』『双紙』『炬火』『文学活動』と統合して『正統』となり,その第1回同人総会が東京・虎ノ門の虎ノ門文芸会館で開催される。『正統』の名付け親は武田麟太郎,古澤元は編集責任者となる
*10月18日,東条英機内閣が成立
◇秋,元は大日本赤誠会出版局主任となり『太陽大日本』の編集に携わる
◇11月中旬,武田麟太郎・高見順らが陸軍の徴用令を受け取る
◇12月?,武田麟太郎ジャワ壮行会が日本橋人形町の“梅の里”で開かれる
*12月8日,大東亜戦争が始まる
■1942年(昭17) 元36歳・真喜33歳・襄11歳
◇1月2日,武田麟太郎が陸軍報道班員としてインドネシアに向け出発。高見順はビルマへ。この日,日本軍がマニラを占領
*2月15日,日本軍がシンガポールを攻略
◇2月,『正統』創刊。古澤元は創刊号(第1巻第1号)に長篇小説「外濠端」第1回(~9月)と評論「文学理念の探究」を発表
◇4月30日,第21回総選挙(翼賛選挙)で大日本赤誠会会長の橋本欣五郎は翼賛会の推薦候補として立候補し当選
*5月26日,日本文学報国会が設立される
◇5月末,元は7月にかけて3回,藤田東湖の取材のため水戸を訪れる
*6月5~7日,ミッドウェー海戦で聯合艦隊が敗退
*6月18日,日本文学報国会の発会式が行われる。会長は徳富蘇峰。“本会ハ全日本文学者ノ総力ヲ結集シテ,皇国ノ伝統ト理想トヲ顕現スル日本文学ヲ確立シ,皇道文化ノ宣揚ニ翼賛スルヲ以テ目的トス”
◇7月,元はエッセイ「私小説論と井戸端会議」を『正統』第1巻第6号に発表
◇8月,元は「水戸に学ぶ――歴史小説雑記」を『正統』第1巻第7号に発表
◇このころ,元は小説「有厄」を『正統』に発表
◇このころ,元はエッセイ「同人雑誌正統について」を『正統』に発表
◇11月10日,古澤元は大日本赤誠会会長橋本欣五郎の秘書役となる
*沢内村議員に古澤吾一
■1943年(昭18) 元37歳・真喜34歳・襄12歳
◇1月,元はエッセイ「小説に対する疑惑」を『正統』第2巻第1号に発表
*2月1日,日本軍がガダルカナル島から撤退を開始
*4月18日,聯合艦隊司令長官の山本五十六がソロモン島上空で戦死
*5月29日,アッツ島の日本軍が玉砕
◇このころ,元はエッセイ「友情と文学」を『正統』に発表
◇7月,真喜の異父弟金一郎が召集解除となって中国から戻り,中尉に昇進
◇夏,古澤元は池田源尚に暗い顔をして“第一に戦争が無駄だな,と思った。第二に生きていることが無駄だな,と思った。第三に文学が無駄だな,と思った”と語った(池田源尚「出会いと作品」)
杜父魚文庫
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