◇3月26日,古澤襄編『びしやもんだて夜話――古澤元・古澤真喜遺稿集』を三信図書から刊行
◇4月5日,『岩手日報』が夕刊1面トップで郷土作家古澤元を紹介
◇5月3日,古澤元没後36周年
◇『びしやもんだて夜話』の紹介、『読売新聞』読書欄をはじめ『秋田魁新報』読書欄,『信濃毎日新聞』文化消息欄,『京都新聞』コラム,『福井新聞』コラム,『南日本新聞』文化欄,『神奈川新聞』学芸欄,『河北新報』読書欄,『西和賀タイムス』などに掲載される
◇池田源尚が古澤元・真喜を回顧したエッセイ「碧き湖を求めた夫婦」が『富山新聞』『北国新聞』に掲載される
◇深山栄が「激動の時代生き抜く」を『北日本新聞』に発表
◇岡田光正が『びしやもんだて夜話』を紹介した「ある遺稿集」を『北海道新聞』に発表
◇『広報さわうち』が「古澤元の生涯」と題して特集
☆7月7日、盛岡で岩手日報の多田編集局長らの肝いりで古澤元の盛岡中学時代のクラスメート八人と襄・恵子夫妻が懇親会。直木賞作家・森荘巳池ら
☆7月8日、襄と恵子夫妻は初めて沢内村を訪れる。太田祖電村長、玉泉寺の泉全英大和尚と会う。全英大和尚は本堂の入口に掲げられた「一点山」の金打ちで漆塗りの大額を示し「これは貴方のご先祖が寄進されたものです」と教えた。寄進の木札も用意されていて「文化三年 古澤屋」とあった。分家の古澤和子に案内されて村はずれの共同墓地にある古澤家代々の墓を詣でる
*9月26日,中曽根内閣発足
◇10月15日. 大谷晃一が『評伝 武田麟太郎』を河出書房新社から刊行
■1983年(昭58) 襄52歳
☆5月27日、大阪市南区上本町の誓願寺に武田麟太郎の文学碑が建立、留女夫人と次男頴介、高見秋子(高見順夫人)、新田芳子(新田潤夫人)、古澤襄と長女京子ら関係者と大島市長、庄野帝塚山学院大学長の八人が出席して除幕式。碑文は「井原西鶴」の小説から「誓願寺を出ると夏祭りを兼ねて遷宮の儀式もあるという生玉の方へひとりでに足が向いていた」という一文が刻まれた
◇太田俊穂が「訪ねてきた古澤元」を『岩手日報』に発表
■1984年(昭59) 襄53歳
☆7月16日,襄が福岡支社長で赴任。古沢元の旧友だった八幡次郎・九州朝日放送会長と会う
■1986年(昭61) 襄55歳
☆5月1日 古澤襄が同人誌『星霜』に短編小説「若死の予感」を発表
◇5月10日, 小坂多喜子が『わたしの神戸 わたしの青春』を三信図書から刊行
◇6月10日. 池田源尚が『死すまじ』を白石書店から刊行
■1987年(昭62) 襄56歳
☆8月、那須湯本で開かれた新聞協会の会合に出席した襄は、30年ぶりに高木幸雄(旧姓渡辺)と再会
■1989年(昭64・平1)襄58歳
*1月7日,昭和天皇が薨去
■1992年(平4) 襄61歳
◎5月10日,一ノ瀬綾が伝記小説『幻の碧き湖――古澤真喜の生涯』を筑摩書房から刊行
◎『信濃毎日新聞』『週刊読書人』が『幻の碧き湖』を紹介
☆6月20日, 襄は横浜から茨城県守谷町に転居
■1995年(平7) 襄64歳
◇5月3日,古澤元没後49周年
◇水上勉が『毎日新聞』連載の「文壇放浪六十年」で古澤元を回顧
■1997年(平9) 襄66歳
◇5月3日,古澤元没後51周年
◇春、沢内村から佐々木吉男(古澤元と新町小学校時代の同窓,5期20年間沢内村助役を務める)・加藤昭男(前沢内村教育長,沢内村日欧文化交流実行委員長)・高橋征穂(盛岡の上ノ橋書房店主,上ノ橋サロン主宰)の3氏と一ノ瀬綾らが守谷町の古澤襄宅を訪れる。
◇6月1日, 堀江朋子(上野壮夫の次女)が『風の詩人ー父上野壮夫とその時代』を朝日書林から刊行
◇吉見正信が「古澤元の再評価」を岩手エフエムで放送
◇『盛岡タイムス』が文化欄で「古澤元の再評価」を特集
◇夏,盛岡で生誕90年を記念した講演会「古澤元の再評価」が開かれ,吉見正信・一ノ瀬綾・古澤襄が講演。実行委員は佐々木吉男、加藤昭男、高橋征穂
◇8月1日,『岩手日報』が夕刊2面トップで「古澤元の再評価」を特集
◇8月23日,『岩手日報』が夕刊2面コラムで「古澤研究に期待」と題した記事を掲載
*8月24日,池田源尚が死去
☆9月11日、襄が高木幸雄と一緒に沢内村を訪れた。銀河高原ホテルで沢内村の関係者と交流。高木幸雄が文学碑建立基金の先鞭をつけ、二百万円を寄付
◇9月15日,沢内村に佐々木吉男を委員長とする古澤元・真喜文学碑建立委員会が発足、募金運動を開始
☆11月7日, 玉泉寺境内の文学碑工事で据え付けが終わる
☆11月14日,古澤襄がエッセイ「鮭の川上り」を文芸誌『北の文学』第35号に発表
☆11月14日,古澤襄が盛岡タイムスにエッセイ「人民文庫の二世たち」を発表これ以降、月に二回のペースで十回続きのエッセイを発表
◇11月17日,古澤元・真喜夫婦作家の文学碑が沢内村太田3―57の玉泉寺境内に建立される。碑文は古澤元の筆跡で雑記帳の一文「杜父魚」,襄の筆跡で真喜の詩「碧き湖」が刻まれた
■1998年(平10) 襄67歳
☆4月3日,古澤襄が『沢内農民の興亡――古澤元とその文学』を朝日書林から刊行
◇5月2日,『沢内農民の興亡――古澤元とその文学』の刊行記念会が盛岡で開催される。参加者120人
◇5月3日,古澤元没後52周年。元の命日に合わせて古澤元・真喜夫婦作家文学碑の除幕式が行われる
【凡例】
年齢=年号のあとの年齢は数え年
◇=古澤家・元(古澤元)に関する事
◎=木村家・真喜(古澤)に関する事項
☆=古澤襄に関する事項
*=その他の事項
?=不詳・疑問のある事項
【参考文献】
古澤襄編『びしやもんだて夜話――古澤元・古澤真喜遺稿集』三信図書
一ノ瀬綾『幻の碧き湖――古澤真喜の生涯』筑摩書房
古澤襄『沢内農民の興亡――古澤元とその文学』朝日書林
『近代日本総合年表』岩波書店
杜父魚文庫
6230 年表 古沢元・真喜夫婦作家を生んだ大地と人たち(完) 吉田仁・古沢襄共編
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コメント
愛日の6年間と共同通信にいらしたとき、御迷惑をおかけしたときしか、古沢さんについては知らなかったので、興味深く読みました
僕の先祖は騎兵隊の立石孫一郎の系統と室きゅうそうのけいとうですが、人の書いたものですませてまして、古沢さんの綿密な文章を読んで、恥ずかしくなりました。
やっと涼しくなりました。「年表古沢元・真喜夫婦作家を生んだ大地と人たち」拝読しています。いつの間に調べられたか不思議に思い、感じ入っております。何回も読み直しています。「西和賀の先人たち」(仮称)に参考にさせていただくようお願いします。
古澤家の年表を日本の近代史と照らし合わせて拝読させていただきました。今の自分は、現在の自分の経験のみで形成されているのではない事、とりわけ時代背景・国家との関りに注目して勉強させていただきました。
代表選の最中でもあり、国家の意思決定と国民の意思について改めて考えさせられました。
小沢政局問題・報道です。
私の周囲に小沢総理誕生を望む者は皆無でした。小沢支持者でさえ「身の潔白を証明してから立つのが人の道」と一顧だにしてませんでしたが、永田町の論理(意思)は国民の意思とは完全に乖離していました。
周囲の20代から40代の人々は異口同音に言います。
「近隣諸国が台頭し、諸外国が日本を食い物にして自国の経済を復活させようとしている時に、与党も野党もない。まして党分裂なんてありえない。問題山積の外交・経済に挙党一致どころか挙国一致で取り組んで欲しい。」
これが普通の一般的国民の願い(意思)だと思います。
しかしながら永田町周辺の論理(意思)は違います。新内閣が何をするか?より「小沢氏がどう動くか?分裂するか?」ばかりが話題の中心です。
確かに、小沢支持者が問責、不信任に同調すれば政局騒動になるのは素人の私にも分かります。しかし、何年政局騒動を繰り返せばいいのでしょう?国が弱体化しているので政局騒動が起こるのでしょうか?政局騒動ばかりしてるので国が弱体化するのでしょうか?国民の意思とは乖離した永田町周辺の意思に怒りを感じる国民は多いと思います。
そんな中、「たちあがれ日本」は「オープンな政策協議に応じる。政策を進めるべき」と会見されたそうです。「立ち上がれ日本」と菅政権では思想的に共通点は見出しにくいであろう中、財政再建と拉致解決という共通項を軸にという前向きな対応で、このような対応こそ国民に支持されると思います。
国民は小沢・政局騒動に辟易としてます。与野党通じて、国の未来のために前向きに政策を進める、国民の願いに沿った永田町周辺になること願って止みません。