「憑(つ)き物がとれた。こうした権力闘争は一度やらないと」と片山善博新総務相が、民主党代表選翌朝のテレビで結果を歓迎していたが、憑き物とはうまい表現である。この20年ばかりの政界は、そんなもやもやした気分の連続だった。
本筋には関係ないが、代表選の投票結果が読み上げられた時、<数>の因縁に少なからず驚かされた。こんなことがあるのか。
まず、<6>という数。菅直人首相と小沢一郎元幹事長の国会議員票が6票差と聞かされた瞬間、38年前の1972年7月5日、東京・日比谷公会堂の情景があざやかによみがえった。田中角栄と福田赳夫がポスト佐藤を争った自民党総裁選だ。
今回と違って現ナマが派手に飛び交い、メディアの耳にもひんぴんと情報が入ってきた。候補はほかに大平正芳、三木武夫の計4人。ニッカ(カネを2候補から受け取る)、サントリー(3候補から)、オールドパー(全候補から)と騒がれたのも、この時だ。
軍資金の豊かな田中陣営が圧勝とメディアは予測し、田中自身も大差と読んでいたが、第1回投票の結果は、田中156票、福田150票。その瞬間、田中は顔を紅潮させ、
「おっ!」と声を発して椅子から腰を浮かせた。決選投票で当選はしたものの、第1回の小差は信じられなかったのだ。
一方、小沢も議員票で勝てると踏んでいたらしいが、負けた。声を発したかどうかはわからない。とにかく、同じ6票差で田中が衝撃を受け、愛弟子の小沢も悔しさに沈んだのは、因縁というほかなかった。
次は<200>。200人の衆参議員が小沢に1票を投じたと知って、やはり数の符合にびっくりする。あれは、小沢が100人以上を擁する自民党最大派閥、竹下派の事務総長のポストに就いていた時だから、89年ごろ、宇野政権下だ。金丸信会長の権勢をバックに、小沢が、
「経世会(竹下派)を200人にしてみせる」と豪語し、政界にショックを与えた。<金竹小>は自民党ジャック、いや政界制覇を企図していると警戒心が高まり、自民党の各派代貸しクラスがYKKトリオ(加藤紘一、山崎拓、小泉純一郎)を結成したのも、この小沢発言がきっかけだった。
以来、小沢は<数こそ力>の強硬路線を走ってきた。自民党を離党してからは、自民つぶしも標的に加わり、政界は慢性的な権力闘争にさらされる。憑き物、などと言われるほど異常になっていた。
だからこそ、今回の代表選で、菅首相は、「カネと数を重視する政治こそ古い。小沢政治に資金的な強さ、仲間の数の多さ、カネと数の原理が色濃くあるのは、私だけが感じていることではない」
と手厳しく批判した。しかし、批判に効き目がなかったかのように、20年余前、豪語したのとぴったり同じ人数の議員が小沢を支持した。これも、何となく因縁めいている。
「40年の政治生活の集大成だ」と小沢は代表選を意味づけたが、200人は集大成に値する数字かもしれない。小沢パワー最後の見せ場だった。
しかし、小沢は同時に完敗したのである。党員・サポーター票を通じ、世間一般の良識的な空気が選挙に注入された結果だった。
小沢側近の一人は、「世論の誤解が解けなかったから敗れた」
と悔やんだが、誤解ではない。世間は私利私欲なく、公平にじっとみている。小沢は一兵卒で働くそうだが、権力闘争はもういい。(敬称略)
杜父魚文庫
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