6268 中国の「反日カルト」の実態 宮崎正弘

反日デモ不発、あまりの少数にむしろ愕然とした。北京大使館前わずか30名、瀋陽5名、上海5名、これが反日カルトの実態。
日本人学校は運動会を延期した。いったい何に怯えたのか?9月18日、かれらが呼号した「反日デモ」。北京大使館前に集まったのは三十名余。
取り囲むカメラマンの数のほうが多い。世界中のカメラである。これが狙いか、参加者はどうみても公安の第五列としか思えない。
上海の日本領事館前も横断幕を広げた男がおよそ五名、なんだかアリバイ証明的行為で、カメラマンの数のほうがやはり多い。
体格の良い男たちはサングラス。いうまでのなく政治宣伝のヤラセ風。瀋陽の日本領事館前の数名。ほかに大連領事館連絡所、広州領事館での騒ぎは伝わっていない。これを大げさに報ずる日本のメディアもどうかしている。
「民間団体」を装ってのジェスチャーも、こう見え透いた行為では、しらけてしまう。
しかし、これが小誌が予告したように中国の「反日カルト」の実態である。
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 +++++(読者の声 DOKUSHA NO KOE 読者の声)++++++
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(読者の声)「空き缶」改造にとうとう海江田万里君が入閣した。彼は慶應義塾で小生と同学年、あの頃はフロント派のリ-ダ-であった。フロント派とはマルクス主義の中でもトリアッチ流の構造改革主義に依拠する党派で当時の正式党派名は統一社会主義者同盟社会主義学生戦線(通称フロント)といい、東大や慶應などで一定の勢力を誇った。
理論的にはプロレタリア世界革命を志向するもので、昭和45年以降はより過激化し名称を共産主義革命党(略称共革党)とあらため、中核、ブント並みに暴れ回ったがついに空中分解してしまった。海江田万里君は慶應フロントのリ-ダ-として機動隊との街頭ゲバルト戦やバリケ-ド闘争の指揮をとったが、「逃げの海江田」として有名でついに一度もポリにパクられなかった。
彼のアジテ-ションで多くの学生が機動隊との闘争で負傷し、その後心身傷ついて社会の片隅に沈殿していった。しかるに海江田は変わり身の早さでは有能で、構造改革派の理論誌『現代の理論』の編集長に転じ、左翼では食っていけないとなると今度は野末陳平の弟子となったり、いつの間やら経済評論家になり、そして政治家となり、ル-ピ-鳩ポッポや汚沢にすりより、そして今度は空き缶に取り入って閣僚になるという離れ業を演じた。
慶應の塾祖である福澤諭吉に『痩せ我慢の説』という著作があるが、福澤諭吉は勝海舟や榎本武揚の変節を批判し、一方西郷南洲を節を曲げない真の武士として高く評価した。
海江田もこの本を読むべきであろう。小生にとってむしろ、やはり当時の同学年で三島由紀夫崇拝者ながらブントから日本赤軍に転じて多くのテロ事件を起こし、現在無期懲役刑を受けている和光晴生君の方が評価できると思う。「空き缶」内閣の命運は如何に?(武蔵国杉並住人)
(宮崎正弘のコメント)海江田万里、うぅーん。本名ですか。万里って? 学生時代のこともさりながら、一時『週刊文春』が盛んにこの人のセックス・スキャンダルを追求していませんでしたか?「ウーマナイザー(WOMANIZER、女道楽家)だ」と。
杜父魚文庫

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