6332 アメリカを正しくみよう  古森義久

アメリカとはなにか。日本にとってのアメリカとはなにか。いま改めて問われねばならない命題である。
日本は経済でも政治でも外交でも、すっかり勢いを失った。だがそれでも生き続けねばならないことは自明である。小さな島国である日本の生存と繁栄には外部世界とのきずなが致命的に重要となる。
その外部世界でも最も重みを持つのはアメリカ合衆国である。私たち日本人が「アメリカ」と聞いて連想することはなんだろうか。
焼け跡のGI、ジャズ、西部劇、ジーパン、大リーグ野球、ハンバーガー、宇宙飛行・・・世代によって連想するイメージは当然、異なる。
もっと堅い領域での連想なら、日米同盟、貿易、投資、イラク戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン、インターネット、核ミサイル・・・と、「アメリカ」は日本人に日本自体から世界をも考えさせる。
アメリカを見る日本人の目は当然ながら世代により、人生観や世界観により、さらにはなまぐさい政治的立場にもより、がらりと変わってくる。アメリカ自体には万華鏡のような無数の顔があり、そのどれに焦点を合わせるかでも、アメリカの映像は異なる。
もう一つ上の抽象レベルでアメリカから思い浮かべるイメージといえば、自由、民主主義、豊かさ、傲慢、独善、パワー、寛容、短絡・・・というような特徴だろう。
日本には当然ながらアメリカが好きな人も、嫌いな人も、そのどちらでもない人も、存在する。好きか嫌いかでも「アメリカとはなにか」という問いへの答えは大きく変わってくる。だが好き嫌いにかかわらず、アメリカが日本にとって巨大な存在だということはだれでも認めるだろう。
アメリカは世界で唯一の超大国である。日本にとっては唯一の同盟国でもある。日本が安全保障面で依存する唯一の相手がアメリカなのだ。経済面でもアメリカとのきずなは日本にとって生存にかかわるほど枢要である。だからどうみても日本のいまの環境では日本にとって最重要な国はやはりアメリカだということになろう。
だから日本のあり方を基本から考えようとすれば、アメリカについて考え、論じることが欠かせない。
好き嫌いにかかわらず、考えねばならない対象がアメリカなのだ。そうしたアメリカ論考では、好悪の感情や政治的立場に影響されないアメリカの現実の客観的な認識がまず前提となる。偏らない視線で、あるがままのアメリカをみることである。
最近の日本ではアメリカ離れやアメリカ叩きが一種の流行の知的ファッションのようである。民主党の新首相となった鳩山由紀夫氏が一連の論文で「アメリカの市場原理主義は危険であり、日本は一線を画すべきだ」とか「日本はアメリカと中国の中間に立って、両者の調整を図るべきだ」などと主張したのも、そのほんの一例だろう。
アメリカを叩く反米主義もいろいろ形を変えて、広まっている。民主党の小沢一郎氏が「アメリカ人は単細胞」などと米国民一般までをののしる言辞を吐いたのも、その反米の流行に便乗した観があった。
マスコミの世界でもアメリカを「貧困の大国」などと評し、その弱点や欠点だけを拡大して提示するネオ反米論も盛んになってきた。
日本のいまの窮状はアメリカが一国平和主義の憲法を押しつけたからだとして「アメリカとの宿命の対決」をあおる国粋反米論もある。
そのいずれもが経済面では「アメリカの衰退」をいかにも喜ばしげに喧伝する。
だがアメリカは本当にそんな単細胞の貧困な国なのだろうか。日本をいつまでも抑えつけるけしからん国なのか。そもそもアメリカは本当に衰退したのか。
私自身、アメリカで長年、暮らし、いまもなお首都ワシントンを拠点に報道活動を続けていて、目前にみるアメリカは日本側でのこうしたレッテル貼り反米論とは合致しない現実に満ち満ちている。
結論を先に述べれば、現代のアメリカは内部にも周辺にも深刻な課題を多々、抱えながらも、世界唯一のスーパー・パワーとしての主導的役割を保ち、国家としての強固で健全で、したたかで柔軟な実体をしっかりと維持している。(つづく)
杜父魚文庫

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