6386 さすが最高検 花岡信昭

大阪地検特捜部の検事によるFD書き換え事件は、当時の上司2人の逮捕に発展した。犯人隠避容疑というから、これは最高検も徹底している。検察史上、最悪の事態になった。
正義を貫くという検察本来のあり方を再確認するためには、自ら相当の血を流さなくてはなるまい。最高検の強烈な意志が見えてくる。
検察というのはやるときはやるものだとは、かねてから思っていたが、ここまでくるとは衝撃的だ。検事はそれぞれ独立した存在で、その集合体が地検なり高検なりになる。それぞれの調べは担当検事の手腕に託される。
だから、今回のようなことが起きた。お互い、独立した存在で、捜査手法についても信頼関係が先に立ち、疑問をさしはさむ余地など、もともと考えられない。
今回のような事件が起きたからといって、検事同士が監視しあうような体質にしてしまってはよろしくない。検察の独立と信頼をかけた正念場だ。
*菅政権の未熟な「国家観」が招いた事態
もしかすると、これは菅政権の崩壊につながるかもしれない。 いや、政権直撃とはいかないところが、逆説的にいえば日本政治の限界ということになるのか。
といったようなところを堂々巡りしながら考えている。「尖閣外交敗北」の一件は本来それくらいの重みのある話だ。
臨時国会で自民党など野党は徹底して突いてくるだろうが、本質をえぐり出すことができるのかどうか。そこも見ものだ。 結論的に言ってしまえば、菅政権の「国家とはどういうものか」をめぐる認識の甘さ、未熟さが招いた事態だ。
国家とは、領土保全、主権保持をなにものにも代えがたい最上位、最優先の課題であると認識しているもの、というのが世界中の当然の常識だ。
だが、菅政権には、というよりも、この異質な国・日本では、これが通用しない。
イギリスのように、フォークランド諸島を分捕られないよう、はるか遠くから海軍の精強部隊を派遣し、犠牲者を出しながらも領土を守り抜くといったことなど、およそ理解の外にある。
それが日本だ。
*シナリオを演出したのは仙谷由人官房長官か
それにしても、うまい手を考えたものだ。那覇地検の判断ということにして、逮捕した漁船船長を処分保留で釈放してしまった。
シナリオを演出したのは、仙谷由人官房長官だといわれる。
元東大全共闘、社会党を経て民主党へ。東大在学中に司法試験に合格した秀才だ。個人的にはなかなかの苦労人タイプで政治的老練さも兼ね備えた「ウラもオモテも」「酸いも甘いも」わかる政治家である。それがなにやら本家帰りしてしまった感じだ。
仙谷氏は「地検の判断」をどこまでも押し通すハラだが、「わが国国民への影響、今後の日中関係を考慮すると……」などと、那覇地検幹部が言えるはずがない。
検察というのは、犯罪容疑があって証拠が固まれば立件する警察とはやや違って、政治判断を加えることがままある。
それにしても、こと外交政策に関する重大な判断を検察だけで行えるはずがない。
この判断がときの政権の外交姿勢と異なっていたら、どうなるのか。検察独走として糾弾され、検事総長の首が飛ぶ話になる。
もっとも、今回の事態でも、最後は検事総長が辞任してことを収束させる段階にいたるのだろうが、それにしてもまずい展開にしてしまったものだ。
どう考えても、菅首相が了承し、仙谷官房長官が動いた結果であるのは間違いない。
*検事総長への「釈放指示」が出たのは間違いない
そうでなかったのならば、こういう「独自判断」をした検察幹部を「出すぎた真似をした」として、政治責任者が処分しなくてはなるまい。
大阪地検のフロッピーディスク書き換え事件で特捜検事が逮捕されるという不祥事が起きて、検察は史上最大級の苦しい立場に追い込まれた。
そこにつけ込んで、というと何だが、政治の側が強引に押し切った構図が浮かんでくる。
司法の独立の観点からよろしくないなどという議論も出ているが、検察というのは司法ではなく、法務省に属する行政機関である。
法務大臣だけが検事総長に命令できる。いわゆる指揮権発動だ。だから法相がどう否定しようとも、首相―官房長官―法相―検事総長というラインで「釈放指示」が伝わったのは間違いない。そう考えるのが常識だ。
まあ、本当のところどうだったのかという筋書きは、ことがおさまり、何年かすれば明らかになるのだろう。当事者のうちだれかが「あのときはこうだった」という話をするに違いない。
指揮権発動は法的には認められているのだから、政権側も正直に言ってしまえばいいではないか。誰が考えてもそうだろうと思うところをあいまいにして逃げ回っているから、脆弱政権のイメージが一段と濃くなる。
繰り返すが、本当に地検の独自判断なら「よけいなことをした」検察幹部を政治サイドが放っておいてはいけない。次にまたどういう判断をされるか分からないではないか。
政府の高度な政治判断であったのなら、理由を明確に述べて国民に経緯を懇切丁寧に説明すべきだろう。
*交渉の「人質」として丁重にとどめ置くべきだった
それにしても、あの船長の落ち着いた表情、出迎えの妻らの上流階級ではないかと思わせる雰囲気などからしても、これはとてもではないが、中国の貧しい漁船とは思えない。おそらくは当局の工作船だろう。
日本側は漁船と船長以外の乗組員を早々に返してしまったが、そこから間違いが始まった。逮捕した以上、その後の交渉の「人質」として、丁重にとどめ置くべきだった。
右往左往して、中国側のいきり立つ姿勢におそれおののき、拘留期限の切れる前に処分保留・釈放というのでは、「国内法にのっとって粛々と」進めた結果だというわけにはいかない。
フジタ社員4人が中国当局に拘束されたのが最大の弱みとなったようだ。スパイ罪が適用されれば死刑もありうるということになって、日本側のドタバタは最高潮に達してしまった。
改めていうまでもないが、「尖閣は日本固有の領土。したがって尖閣をめぐる領土問題は存在しない」というのが日本政府の立場だ。サンフランシスコ講和条約によって、アメリカの施政権下にはいり、沖縄返還の際に尖閣も含めて返ってきたのである。
海洋資源があると分かって中国側が騒ぎだしたのはそのあとだ。
かねてから、日本の民間企業でガス田開発をしようとしていたところがあったのだが、政府がストップをかけてきた。
それがいまになって裏目に出た。うまく運んでいれば、あの領域では、いまごろ日本の手によるガス田掘削が本格化していたかもしれない。
*領土問題となると、日本外交の「弱腰」が目立つ
こと領土問題となると、日本外交の「弱腰」ばかりが目立つ。かつて、外務省高官と徹底して議論したことがあるが、相手は最後に「そんなこと言ったって、兵を出すという選択肢が最初からないんだから仕方ないでしょうが」と切れてしまった。
領土問題はそこに核心がある。結局のところ、フォークランドのように武力で実効支配しないと自国の領土にはならないのだ。
そこに、外交という知恵が働くのが現代の国際政治であるはずだ。それには「いざとなったら兵を出す」という構えがないと、交渉力は生まれない。日本はハナから武力行使は放棄しており、それを明言しているから、相手にとっては怖くもなんともない。
今回、日本側には国際社会に向けて中国の理不尽さを強調するための材料がいくつかあったはずだ。最大のものがビデオテープである。
これを見た人によると、あの漁船は2回にわたって体当たりしてきたらしい。それが明白に撮影されているのである。
かつて、大韓航空機がソ連機によって撃墜されたとき、後藤田正晴官房長官はソ連機と地上基地との交信記録の傍受テープを国連の場に提出させた。
自衛隊は傍受技術の水準が判明してしまうのを恐れて抵抗したのだが、「カミソリ後藤田」が押し切った。その結果、ソ連の横暴な態度が天下に知らされ、日本は国際舞台でポイントを稼いだのである。
今回は「カミソリ」どころか、懸命に汚れを落とそうとしても落とせない「モップ」のようなものだ。
*「毅然たる態度」を取り続けなければ侮られるだけ
中国大使が経済人、それも商社出身というのも、世間受けはしたのだろうが、外交的にはどんなものか。厳しい関係にはない国ならまだ分かる。こと中国だけに、最高の政治判断ができる人が必要だった。夜中の12時に呼ばれて諾々と出向いてはいけない。
外務官僚にとって、中国大使というのはエリートコースのひとつである。それを民間人に奪われて、外務省内に「横を向いている」雰囲気は出なかったのか。
政権当局者はそうした冷厳な事実をも見据えるべきだ。
かつては、政治家にも経済人にも中国と太いパイプを持つ有力者がいた。いつのまにか、そういう人が見当たらなくなった。これも国家としての政治的パワーを減殺させている。
この種の事件は、政治決着があっても不思議ではない。だが、ぎりぎりのチキンゲームを演じたあげく、双方とも「もはやこれまで」となって、はじめて政治決着が実を結ぶ。
船長を釈放したのに、中国側が「謝罪・賠償」を求め、フジタの4人はそのままだ。決着させたのではなく、さらに居丈高にさせたというのは、完璧な「外交敗北」という以外にない。
まあ、今回の事件が残した効果としては、国民の間に「中国というのはこういう国なのだ」という認識が浸透したことだろう。
「日中友好」は結構だが、そのためには、こちら側も国家として毅然たる態度を取り続けないと侮られるだけ、ということだけは十分に分かったのではないか。
杜父魚文庫

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