6429 長岡實にみる「大正の訴え」 岩見隆夫

5年前に亡くなった後藤田正晴元副総理の言葉を、最近はよく思い起こす。TBS系の日曜早朝番組<時事放談>の席で、リーダーにふさわしい人材が、
「おらん」と言い切ったあと、後藤田は、
「志を立ててオレがやる、こうじゃなきゃ、この難しい政治の時代に、リーダーになれるわけがない。棚から落ちてくるのを待つ、っていうのはダメだ。覇気がない」とほえるように言った。死去(05年9月19日)の2カ月前、いまにして思うと遺言のようだった。
当時は小泉政権、翌年から、まさしく棚から落ちてくるように、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人とめまぐるしく、4年間で5人の首相である。
覇気、積極的に立ち向かおうとする意気込みをいう。5人にそれがあったか。特に最近のあれこれ。尖閣事件、小沢一郎民主党元代表の強制起訴に対する菅首相、党執行部の対応など、覇気を感じさせない。
ところで、後藤田は大正3年生まれ、ご存命なら96歳、大正の男が昭和をしかっている印象がいつもあった。先日、ある小さな集まりで、やはり大正生まれの官僚OBにお会いする機会があった。長岡實元大蔵事務次官、後藤田より10歳若い86歳だ。
作家、三島由紀夫と同期の入省で生涯の親友だった。<大蔵省のドン>と言われ、80年、退官後は日本専売公社最後の総裁、ついで日本たばこ産業(JT)の初代社長になる。88年、東京証券取引所理事長、バブルがはじけマーケットの恐ろしさを知る。
「私なりに<役人学>を身につけたつもりだ」と言い、民間の風にもなじんだ、いわば戦後経済の生き字引である。だが、長岡の座談には、後藤田のような激しい叱正(しっせい)はなく、それに代わる美声で周囲を驚かす。
とにかく、童謡から民謡、演歌、軍歌(海軍の軍歴がある)に至るまで、正確な歌詞と信じがたいほどの高い声で歌いまくるのだ。この日も、美空ひばりの<川の流れのように>を熱唱、喝采(かっさい)を浴びた。<東京市電のうた>という昔の東京の街並みが浮き立つような小気味いい歌も披露してくださった。
覇気を欠いた政界、官界、経済界の現状、司法の混乱を見て、長岡は言いたいことが山ほどあるに違いない。だが、語ろうとしない。老大正エリートはなつかしのメロディーに託して、<古き良き時代>への回帰を訴えているように思えた。
長岡が80歳の時、日本経済新聞に29回連載した<私の履歴書>を読んだことがある。最終回は、
<いまや、財政体質の健全化が国家的な課題だが、敢(あ)えてもう一点、政と官との関係に触れて筆を置くことにする。政治家は公務員の力をもっと引き出していただきたい。公務員は分を心得つつも、国民のための行政府のあり方に「志」を持って取り組んでほしい>
で結ばれていた。<大正人から>の小題がついている。後藤田も似たような政・官論を語っていた。
長岡ら同じ大正13年生まれの有志が、<一三会>という親睦(しんぼく)会を作り、時折杯を交わしているそうで、会の終わりには、
<古い明治の親父(おやじ)から、若い昭和の子供へと、受けた血を継ぐ、夢を継ぐ、これが誇りの人生さ>という歌を放吟して別れるという。
すべての国会議員が昭和生まれだ。いまのうちに、大正世代の声にしっかり耳を傾けておかないと、時機を失う。(敬称略)
杜父魚文庫

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