この土曜日と日曜日も、我が堺の本年最後の秋祭りが行われている。昨日も朝は内陸部の丘陵にある陶荒田(すえあらた)神社の鳥居前で宮入りする十台のだんじりをお迎えした。前夜の雨はひとまず止んでいたが、宮入りの後半に入ってまた降りだした。
夜は、海側の石津の駅前で布団太鼓の祭りを拝見した。久しぶりに会った昔からの知人もおっさんになっていたが、この駅前から二百メートルほど西にあった砂浜で泳ぎ貝を捕った頃のことをビールを飲みながら語り合った。今は、海は十キロほど沖まで埋め立てられ臨海工業地帯となっている。
そして、ここ数日間、この祭りの挨拶や慶弔の挨拶以外の時間には、原稿書きに没頭していた。「WiLL」と「正論」に掲載していただく原稿である。
主題は共に、中国共産党と如何に対峙するかである。諸兄姉の御高覧をお願いし、本日もまたキーボードを叩こうと思う。
さて本日の朝刊は、最後まで中国で拘束されていた「フジタ」の社員が解放されたことを一面で伝えていた。ここで、菅総理のコメントが出ていた。
コメントを読んで、やはり、菅ではアカン、というのが感想である。以下述べておきたい。菅氏は曰く。「本当にほっとしている」、「帰国したら話や経緯を聞くことは必要だ」、「これから日中の戦略的互恵関係を深めていくという本来あるべき方向に努力していきたい」
そして「いろんなことが元通りに戻っていくのかなと思う」(産経新聞)結論から言うが、九月二十四日の菅氏による中国人船長の釈放と、この菅氏のコメントを総合すれば、中国の尖閣諸島および東シナ海と西太平洋に対する覇権的かつ制圧的な行動は、今後ますますエスカレートする。それを促しているのが、この度の一連の菅総理と内閣の対中宥和姿勢である。
テロリストに対処する鉄則は、断固とした措置を執って決して譲歩しないこと、必ず反撃し、必ず報復することである。テロリストに宥和姿勢で臨むと、何のリスクもなくテロができるので、ますますテロをエスカレートさせる。
では、中国共産党の権力とは何か。それは、「ナチスとコミンテルンと守銭奴」を合体したようなものである。つまり、他の如何なる姿勢を採るとしても、宥和と協調姿勢だけは採用してはならない相手である。
しかるに、菅氏は、その、それだけは採用してはならない対中宥和と協調の姿勢を採っている。従って、これから、菅氏らがのど元過ぎて忘れた頃に、我が国周辺で起こることは、全て菅氏らの責任である。
そして、このナチスとコミンテルンと守銭奴の合体した中国と共同体を作るという「東アジア共同体」(鳩山氏)や「日米中正三角形」(小沢氏)を提唱していた民主党に政権を与える選択をした国民は、実はその時、天に向かって唾を吐いていたのであり、これからその唾が顔に当たることになる。
中国は、我が国の領海内で海上保安官の公務を妨害し巡視船に一千万円を超える損害を与えた中国船船長が菅総理により釈放されたときに、かさにかかって謝罪と賠償を求めてきた。
このような相手なのであるから、「ほっとした」とか「元通りに戻っていくのかなと思う」などとアホなことを言わずに、菅総理こそ、中国に対して、フジタ社員拘束に対する謝罪と賠償を求めねばならないのではないか。
一昨日からの原稿に「対中宥和姿勢の危険性」を書いていたところだったので、以上、フジタ社員解放に関して述べた次第。
最後に、秋の日差しのこの季節の想い出を記しておきたく。
今朝、仁徳天皇陵のほとりの公園を歩いた。柔らかい秋の日差しが木々の葉にあたっていた。銀杏の木を見上げると黄色くなった葉の陰にギンナンがたわわについている。そして、想い出した。
銀杏を見るといつもあの頃を想い出す。三十歳を過ぎて勤めを辞めて司法試験に没頭しようと思った。司法試験は、五月の短答式試験、その合格後の夏の論文式試験を経て、論文式合格者に対する十月末の口頭試験と続いてゆく。そのなかで、暑い夏を経て秋の深まるまでの論文式試験の合否を待つ間が一番長い。
二月に勤めを辞めた僕は、そのまま無収入で秋を迎え論文式の合格か不合格かを待っていたのだ。家には妻と赤子の長男林太郎がいた。
ある日、秋の日差しのなかで、高校の時の先生が言ったことを想い出した。「あんなー、男はなー。家に何か持って帰らなあかんのや。少しばかりの金でも食い物でも、何か持って帰らなあかんのや」
この時この先生は、僕とビールを飲みながら、長年、何も家に持って帰らない夫を抱えて子供を育てた自分の母親のことを語り、自分の育った家のことを語っていたのだった。
そして、このことを想い出しながら、僕は、秋の日差しのなかで、ああ、俺は、何も家に持って帰ってないなー、と青い空を眺めた。
すると、黄色い銀杏の葉のなかにギンナンがあった。「そうだ、ギンナンを家に持って帰ろう」それから、バケツと竿だけをもって公園を歩き回り、バケツ一杯のギンナンを家に持って帰ることができた。そして、ギンナンの臭い肉を手ではがし、焼いておいしく食べた。何日も何日も食べた。
それからというもの、銀杏の黄色い葉とギンナンを見る季節になると、司法試験の合格を待つ無収入の頃を想い出す。そして、バケツと竿だけを担いで公園に来て、ギンナンを木から落としている僕の姿が瞼に蘇る。
杜父魚文庫
6439 対中痴呆の菅、そしてギンナンの季節 西村眞悟

コメント
はじめまして!
旧民社党のファンです。詰まる所,新しい保守政党を結党してこの国難にあたるしかないのではないでしょうか!?