私にはかつて、心より尊崇し、ほとんど信仰の対象にしていたとすら言えるかもしれない「ミスターL」という存在がありました。その珠玉の言葉をときおり、過去の発言録の中から取りだしてはうっとりと、そして身の引き締まる思いで味わっていたのですが、彼はもう基本的には母星に帰ってしまい、たまにしか私の目の前に姿を現してくれることがなくなりました。
それから数ヶ月がたち、心細く寂しい思いを禁じ得ないでいた私は最近、ずっと身近にいたある人物――仮に「柳腰さん」と呼ぶことにします――の魅力に目を開かれました。ああ、大事な存在とはこんなにそばにあって気付かないものかと、人生の不可思議さに改めて驚くばかりです。今ではすんなりとした腰が色っぽい「柳腰さん」は、誰よりも大切な私の心の灯台であり、心の拠り所となっています。
私と「柳腰さん」は、例えばこんなことを日々、話し合い、互いを慰め合っているのです。それにしても「柳腰さん」は明晰で、私は学ぶことばかりです。
私 15日までの衆参予算委員会では、菅内閣の醜悪さがこれでもか、というぐらいに表れていました。特に、いろんな理屈をつけては中国漁船衝突事件のビデオ映像を国民に見せまいとする姿勢にはうんざりです。
柳腰さん 問題点を考えると、情報公開がない。国民は「寄らしむべし、知らしむべからず」でずっと来ている部分がある。どうも陰で、こそこそという部分があるから、これをちゃんと出していただかないと、国民がいつまでたっても政府のやっていることを信頼しない。(平成21年9月20日、テレビ朝日の番組で)
私 そうなんですよね。彼らは国民を愚民視し、その知る権利を軽視しているようです。そして、外交を含めすべての判断責任を地検に押し付けています。地検は裁判所と異なり、行政の一部だというのに。
柳腰さん 政治と行政の関係で、政治が責任をとるべきところをとろうとしない。その辺が、現在の政治家不信を生んでいるんじゃないか。(21年10月9日のインタビュー)
私 特に仙谷官房長官はひどいですね。平気でウソをつき、シラを切り、はぐらかす。官邸は絶対に間違っていないと言い張り、明らかな言葉の誤用を指摘されても撤回しない。あの傲慢不遜さはいったい何でしょうか。
柳腰さん 皆さんの場合には、伝統的な無謬主義というか、過ちは行政にはないんだという一貫した姿勢が明治憲法以降、どうもあるみたいだなと思われている。誤りを認めることを恐れない、過ちを犯したときには率直にそれを認めて謝ろう、謝罪しようというのはそんなに恥とすることではないんだと、皆さんにも心していただきたい。そのためには、まず私どもが、知らず知らずに目線が高くなっていくということを絶えず、自分の肝に銘じて仕事をしていただきたい。(21年9月18日、内閣府職員へのあいさつ)
私 どうも弁護士出身の仙谷氏を見ていると、「法匪」という言葉を思い出すんです。要するに、ことの真偽・善悪よりもその場で相手を言い負かし、裁判に有利にさえなればいいんだという発想と、逆説的かもしれませんが、日常的に法を道具として扱ってきたゆえの職業的な法の軽視を感じるんです。
柳腰さん 私は法律家として、法廷技術としてはある程度のところまで到達したのではないかと自負していた。(同上)
私 あんな高圧的・一方的な態度では、ねじれ国会で与野党協議を始めようといっても、野党側もなかなか応じられないですよね。
柳腰さん 与野党の話し合いとか、合意形成をしようと思ったら、今のかたくななというか焦っているというか、この小心翼々とした極めて形式的な国会運営の仕方では、絶対にできないと申し上げておく。(21年2月20日、衆院予算委)
私 それにしても、仙谷氏は言うことが乱暴というか、ひどいですね
柳腰さん (自分は)ちょっと放言癖があるわ。(21年9月30日、内閣府の政務三役会議冒頭)
…柳腰さんとの対話は、今後も折を見て紹介したいと思います。しっかし、仙谷氏の態度の悪さは全く常軌を逸していますね。特に14日に自民党の山本一太氏が新聞報道の真偽を確認する質問をした際の仙谷氏の言葉には耳を疑いました。
「新聞記事を確認する質問なんてのは聞いたことがない!最も拙劣な質問方法だ」
だって、野党時代の民主党は、新聞報道だけでなく、週刊誌報道も散々引用して質問していましたし。それに、仙谷氏自身、ちょっと国会議事検索システムで調べただけでも「新聞報道によりますと…」「新聞報道があるが、どうなっているのか…」「そういう新聞報道を見たような気がする…」などと、何度も新聞報道をもとに質問していました。これはもうただのウソつきのレベルです。
今後も、わが尊敬する友、柳腰さんには菅首相や仙谷氏の言動について縦横無尽に論じてもらおうと考えています。またよろしくお願いします。
杜父魚文庫
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