6504 『週刊朝日』の「妄想」記事に仰天した 岩見隆夫

週刊誌は昔から読むほうである。新聞、テレビの報道とはひと味違う面白さがあるからで、こんな裏事情があったのかと驚かされたことも再三だった。
新聞と週刊誌を併読して、初めて全体像がつかめたような気分になることもあった。ところが、最近は週刊誌のセンセーショナリズムが次第に度を越し始めている。ひと味の違いなんてものではない。
先週発売された『週刊朝日』の特集にはどぎもを抜かれた。表紙に〈捏造された「政治とカネ」小沢起訴は無効である〉
とうたわれていたからだ。捏造、無効という決定的な単語が異様であり、それが読者を引きつけて売れ行きが伸びるのかもしれないが、しかし、ただごとでない。
読んでみた。私は正直、仰天した。まず特集の前文をここに再録する。
〈この国は、いつから法律ではなく感情で人を裁く国家になったのか。検察審査会の2回目の議決を受け、民主党の小沢一郎元代表(68)が政治資金規正法違反の罪で「強制起訴」されることになった。しかし、本誌が再三指摘してきたように、これまで「政治とカネ」というあいまいな言葉で語られてきた小沢氏の“犯罪”は、検察がつくり出した妄想でしかないのだ〉
メチャクチャな文章である。新たに妄想という極端な単語が加わった。本文を読むと、要するに、小沢さんの疑惑はぬれぎぬとの前提に立って、東京地検特捜部の捜査の失敗と、東京第五検察審査会の議決の不当性を繰り返したたいているのだ。
一種の思い込みが、特集全体を支配している。特捜部は小沢さんを起訴できるとみて約一年捜査したが、有罪に持ち込むだけの確証が得られず、容疑不十分、つまり灰色のまま不起訴処分にしたのはご存じの通りだ。当時、検察内部には起訴すべきだという主張もあったという。そして、今回、検察審は灰色でも黒に極めて近いと判断して二度目の〈起訴相当〉の議決をした。
◇説得力に欠けた批判は批判の名に値しない
すべては法律にのっとっている。昨年五月施行された改正刑事訴訟法で検察審の権限が強化され(二回〈起訴相当〉を議決すれば強制的に起訴しなければならない)、今回の結論が出た。小沢さんの白黒判断は、法律にもとづいて、裁判所に委ねられたのだ。それを特集の前文が、
〈法律ではなく感情で人を裁く国家になったのか〉と決めつけるのは不可解このうえない。妄想などというおよそ非論理の表現をすることこそ感情論の極致である。しかも、特集は、
〈今回の議決を受けて「議員を辞めろ」と大合唱する世の風潮は、検察官による起訴と、検審による起訴の違いを理解していないように思えてくる〉と風潮批判までしているが、議決翌日の十月五日付『朝日新聞』は、
〈自ら議員辞職の決断を〉と題する社説を掲げた。
〈疑惑発覚後、世の中の疑問に正面から答えようとせず、知らぬ存ぜぬで正面突破しようとした小沢氏の思惑は、まさに「世の中」の代表である審査員によって退けられたといえよう〉と社説は検察審の議決を評価している。私もそう思う。
この『朝日』社説の立場と『週朝』特集の無効宣言はまるきり逆である。これほど極端でなくても、似たような新聞と週刊誌のチグハグ現象は時折みられたが、『週朝』の山口一臣編集長は、
「別の会社ですから」と気にとめていないという話も聞いた。確かに朝日新聞出版という別会社が発行元になっているが、子会社であり、世間も読者も『朝日』の週刊誌と思って読んでいる。
友人の『朝日』OBにも何人か感想を求めてみた。一様に、「売らんかな、で割り切っているのではないか。本社も困っていると思う」ということだった。
さて、ジャーナリズムとは何か、を考える。今回のことでは、検察審査会という制度の批判は当然あっていいし、議決に疑問を投げかけるのも、ジャーナリズムの仕事のうちだ。『サンデー毎日』も先週号で、
〈検察審の不可解を問う〉という特集を組んでいる。司法のプロ四人(裁判官出身の弁護士、検事出身の弁護士、ロッキード事件など担当の弁護士、司法ジャーナリスト)の座談会は興味深く読んだ。同じ批判でも、捏造とか無効、妄想などのどぎつい言葉はなく、検察審の改革論が中心で、参考になった。発行元の毎日新聞社の社説も、五日付で、
〈小沢氏は自ら身を引け〉と議員辞職を求めている。やはり、『毎日』でも新聞と週刊誌の姿勢に違いがある。週刊誌ジャーナリズムの特異性をどうみるか、を真剣に考えなければならない時ではなかろうか。
冒頭に書いた、ひと味違う面白さをはるかに超える〈言葉の暴走〉が、週刊誌では日常のことになりつつある。読者も慣れてきて、刺激を感じなくなっているのは、言葉の無力化につながりかねない。新聞社系だけでなく、出版社系も同列、というよりもっと過激なことがしばしばだ。
言うまでもないことかもしれないが、この際言わなければならない。ジャーナリズムの基本は、正確な情報と説得力のある批判精神である。週刊誌も例外ではない。説得力に欠けた批判は、批判の名に値しないのである。
〈小沢氏の犯罪は検察がつくり出した妄想でしかないのだ〉と書いた『週朝』の記者、監督責任のある編集長は、一体読者の何パーセントが説得力ありと判断したと思っているのだろうか。世論は八割以上が小沢さんの釈明に納得していない。
それでも、売れればいいのだ、という商業主義を優先するのなら、それはもはやジャーナリズムではなく、お節介ながら読者も逃げると思われる。もっと言葉を大切にしようではないか。(サンデー毎日)
杜父魚文庫

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