「センゴク、あ、尖閣問題は……」とテレビコメンテーターが言い間違えるのを聞いて、失笑した。センと来たら反射的にゴクと続くほど、仙谷由人官房長官の言動に関心が集まっているということだ。
しかし、いい話題はない。戦後、政権のカナメである官房長官に就いたのは50人を超えるが、仙谷のように短期間の在任で集中砲火を浴びたのは初めてである。
衆院予算委で仙谷を<影の総理>と決めつけた自民党の石原伸晃幹事長は、記者会見(19日)でも、「乱暴な答弁が多い。柳腰発言も女性の容姿を形容する言葉だが、同僚議員が言及すると違う答弁をもって返し、まったく反省しない。侮辱的な発言もする。国会論戦を軽んじている」
と言う。石原の批判はまだ穏やかなほうで、「適格性の問題になる」(公明党の山口那津男代表)、「恫喝(どうかつ)まがいの言辞」(みんなの党の渡辺喜美代表)などと、野党首脳の怒りは次第にオクターブを上げているのだ。
それが非公式の席になると、批判のホコ先も変わって、一様に
「あれは左翼だろ」で片付ける。学生運動、反権力派弁護士、旧社会党議員の前歴をたどると、そんなレッテルが張られるのかもしれない。
だが、長官就任のころ、仙谷は弁護士仲間だった自民党の某幹部に電話して、「よろしく頼むよ。いつまでも全共闘みたいなこと言ってるわけにもいかんしなあ」
と漏らしたという。元左翼といったところだろうか。
だが、見方を変えると、仙谷をめぐる一種のにぎわいが、支持率下降中の菅政権にはずみをつけているとも映る。つまり、政権のお囃子(はやし)だ。笛や太鼓がやむと、祭りが終わる。
終わらせないための深謀遠慮、物議を醸すことの効用を計算している。ひいき目かもしれないが。
ところで、仙谷批判のほとんどは特異な話法から来ている。緩急、硬軟とりまぜ、挑発、攻撃、謝罪、比喩(ひゆ)の多用、法廷用語、黙し戦法、難解なレトリック、なんでもあり、だ。独り芝居を楽しんでいる風情もかいまみえる。
そんな仙谷話法の淵源(えんげん)はどこにあるのか。以前に、
「丸山真男の『“文明論之概略”を読む』です。ああ、議論の仕方はこれだと。まくら元に置いて、年中読んでた」と語ったのは、このコラムでも紹介した。
「文明論之概略」は、明治維新から間もない1875(明治8)年、開明派思想家の福沢諭吉が刊行した福沢イズムの主著だ。戦後を代表する政治思想史の権威、丸山は<福沢惚(ぼ)れ>で知られ、86年、「概略」の解説書として「読む」(岩波新書上中下3部作)を出版した。
仙谷40歳、まだ弁護士をしている。「読む」は20回の講義で構成され、第2講のテーマが<何のために論ずるのか>。丸山はこう講義する。
「一つは、議論の交通整理、第二は、異説をすぐけしからんといって天下の議論を統一しようとする傾向に対するたたかいです」
わかりやすい。維新直後と今日では時代状況が違うが、通じるものがある。第一は争点の明確化、第二は、その帰結として議論の画一化(ドグマの支配)に陥りがちだが、それを堕落とみる。二つは矛盾しかねない。丸山は、
「福沢はどうしても二正面作戦にならざるを得ない。それが<多事争論>という福沢思想の根本です」と講じる。仙谷はどのあたりにいるのか。二正面、いや三正面、それとも混線か。(敬称略)
杜父魚文庫
コメント