雑誌SAPIOの最新号にクリストファー・ヒル氏に私がインタビューした記事が載りました。一問一答の詳しい内容です。
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北朝鮮核問題解決のための「6カ国協議」の米国首席代表だったクリストファー・ヒル氏。彼は交渉の主役として、北朝鮮に核放棄させるどころか、譲歩を重ね、米国の「テロ支援国家」指定国から除外し、エネルギー支援まで約束して批判を浴びた人物である。
そのヒル氏が2009年4月から就任していた駐イラク大使を最後に今年8月、外交官から退いた。北朝鮮外交にかかわった4年間、拉致問題解決を優先課題とする日本でも、核問題ばかりを追及するヒル氏の姿勢に批判の眼が集中した。
そのヒル氏が退官後初めてメディアに登場。10月はじめ本誌の独占取材に応じた。6カ国協議とは何だったのか。自身と拉致問題、そして北朝鮮交渉秘話をあますところなく語った。
クリストファー・ヒル氏インタビュー
古森義久「イラク駐在のアメリカ大使の職務を無事にこの八月に終えたこと、おめでとうございます。コロラド州デンバー大学の国際関係学部の学部長となられたわけですね」
クリストファー・ヒル「はい、ありがとうございます。アメリカに戻った気分はやはりすばらしいです。私の学部は正式にはジョセフ・コーベル国際研究学部という名称です。コーベル氏はチェコ出身の外交官でマデレーン・オルブライト元米国務長官の父上です。アメリカでの彼の功績を記念した名称です。彼の教えた学生にはコンドリーザ・ライス前国務長官もいます」
古森「三十三年に及ぶ外交官生活から引退し、アカデミズムの世界に入ると、勝手が異なるでしょうね」
ヒル「はい、ずいぶんと違う世界ですが、アカデミアでも外交官のような機能がときには必要ですね」
古森「さて北朝鮮問題について質問させてください。ヒルさんが北朝鮮の核兵器開発を防ぐための六カ国協議のアメリカ首席代表を務めた期間は私も取材のために、よく後を追いかけ、ときには嫌がられましたね(笑い)」
ヒル「ええ、まあ、そうでしたね(笑い)」
<1989年、核開発が発覚して以来、北朝鮮に核を放棄させることが米国にとって重要な課題となった。米朝枠組み調印(94年)、日本と韓国が中心となった朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の発足(95年)など、さまざまな国際的取り組みが試みられたが、北朝鮮の核開発は続いた。2003年には米中朝の3カ国協議で北朝鮮代表が「核兵器保有」を明言する。
同年8月、米中朝に周辺国の日本、ロシア、韓国を加えた6カ国協議が北朝鮮の核問題解決などのために開催されるようになった。当初の米国側代表はジェームズ・ケリー国務次官補、そして2005年7月の第4回協議からヒル氏が米国首席代表として交渉を担っていた>(つづく)
杜父魚文庫
6534 北朝鮮のウラン核武装を阻止せよ――ヒル氏が語った 古森義久

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