戦後の日本人の気質は変わってしまったが、それでも”清貧”を尊ぶ気風が僅かかもしれないが残っている。だから小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏が実態以上に人気がない。菅直人氏はどうみても戦後の最低クラスの宰相だと思うが、まだ人気が衰えないのは市民運動家の面影が残っているからだろう。
アメリカ人、というよりはユダヤ系米国人は冷徹なくらいの拝金思想を持っている。亡国の民だったユダヤ人はカネだけが信じられることで生き抜いてきた。その点では支那人も拝金思想。3000年の歴史の中で漢民族は辺境の異民族の支配をいくたびか受けている。
アメリカ人と支那人は拝金思想の一点で似た民族である。アメリカに占領された戦後日本人にも拝金思想が広がったが、それでもアメリカ人と支那人ほどではない。伝統文化という点では日本人は拝金思想よりも固有の精神文化に郷愁を覚える。
今の支那人は嫌がるが、万里の長城を越えて支那本土を征服した女真族(満洲族)が打ち立てた清王朝は、康熙帝・雍正帝・乾隆帝の三代130余年(1662-1795)の間に支那文化の最盛期を迎えている。満洲から起こって支那に君臨した異民族王朝だが、モンゴルの元代の様に支那人を蔑視せずに、明王朝の制度を忖度して儒教の尊崇と学術の保護に力を尽くしている。
清帝室の事業として経典の注釈、史籍の纂述あるいは淵鑑類函、康熙宇典など見るべき支那文化の遺産を遺している。この事業は乾隆帝の時代まで続いて、四庫全書、四庫全書総目提要の編述をみるに至った。またヨーロッパから伝わった新学術も取り入れて、天文、地理、暦学、数学の著書も世に出ている。
しかし、乾隆帝の60年に及ぶ治世が終わりに近づくと、乾隆帝の奢侈と十度に及ぶ大遠征の結果残された財政赤字が拡大し、官僚の腐敗も進んで清王朝も崩壊の兆しが顕著となった。繁栄の中に衰亡の種子が宿したのは世界の繁栄王朝の末路と同じである。
私たちは日清戦争の頃の清王朝の衰退期と阿片戦争などヨーロッパ列強の支那制圧による半植民地化しか知らない。清王朝の末期には大陸から逃亡した華僑が東南アジアに進出して一大勢力となった。学術・文化よりも拝金思想の支那人が生まれている。
杜父魚文庫
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