そうだなあ、まったくそうだ、と思いながら読んだのは、十月二十日、七十六歳の誕生日を迎えた皇后さまが、宮内記者会の質問に答えた文章だ。いろいろおっしゃっているが、私は次の二カ所を二度、三度と読んだ。「この数年仕事がとてものろくなり、探し物がなかなか見つからなかったりなど、加齢によるものらしい現象もよくあり、自分でもおかしがったり、少し心細がったりしています」
深く共感したのは、最後のところである。共感はしても、自分ではなかなかこうは表現できない。おかしさと心細さを率直に語る皇后さまに、私はいたく感動した。同年配ということもあるが、それだけでなく、日本語のすばらしさといったことなのだ。
もう一カ所は、「心身の衰えを自覚し、これを受け入れていくことと、これに過度に反応しすぎないこととのバランスをとっていくことは容易ではない」
と書かれた。この二つの言葉は高齢社会を生きる人たちの心得だ。知恵と言ってもいい。加齢をおかしがる精神的ゆとりと、必要以上に悲劇的に思いつめない強さが求められる、と皇后さまは自らの体験から教えておられる。心に染みた。
日常を振り返ってみる。皇室の生活と私たち庶民の暮らしは大きく違うが、皇后さまがおっしゃるように、探しものが見つからないのは同じである。忘れもの、落としものもぐんぐん増えていく。
私が外出する際の七つ道具は、財布、名刺・カード入れ、小銭入れ(なかにカギ)、手帳・ペン、メガネ、ハンカチ、たばこ、である。点検したつもりでも、一つは必ず忘れる。多い時は二つ、三つも。
先日、外出してタクシーに乗り、仕事をすませてマンションまで帰ってくると、カギがない。一瞬、途方に暮れた。こんなことは皇室ではありえない。
小銭入れを開けてタクシー料金を払った折、カギを落としたに違いないが、どこのタクシーか記憶がないので、まいった。部屋に入ればスペアのカギがあるが、入れないのでは話にならない。
あちこち電話して相談したところ、「交番に行ってみたらどうか」という人がいた。さっそく交番に駆け込んで警官に事情を説明すると、
「あ、これ」と一枚の紙切れを渡された。〈カギの緊急隊〉と印刷され、電話番号も記されている。助かった、と思い、すぐに電話。
「三十分以内に行きますから」と言う。カギ屋さんがやってきた。当方のカギの様子を聞くと、
「なんとかなるでしょう」内側からののぞき見の穴、この穴のねじを外側から回してはずし、そこから細いカギ型の器具を挿入してカチャリ、二、三秒でわが部屋のトビラは開いたのだ。ちょっとした感激だったが、一万五千円ナリを請求された。
◇衰えを自覚し受け入れ過度に反応しないこと
たわいない落としもの騒動にすぎないが、交番に行った時、「こんなこと、時々あるんですか」と聞いてみると、
「ええ、結構」という返事だった。カギをなくしあわてる人が多いのである。高齢者ばかりではないだろうが、加齢によるケースがほとんどに違いない。私だって、昔ならカギが小銭入れからこぼれ落ちたのに気づかないはずがない。注意力が鈍くなっているのだ。さあ、どうするか。皇后さまが言う心身の衰えである。
「これを受け入れていくことと、これに過度に反応しすぎないこととのバランスをとっていく」と皇后さまの言葉だ。
まず、受け入れること。私は今年、春と夏の二度転び、二度とも右足を骨折した。加齢によって足元が覚束なくなったせいだろうが、不覚をとった腹立たしさはいまも残っている。多くの知人から、
「どうせ酔ってこけたんでしょう」と冷やかされたが、それは違う。酒好きの身だから、酔いどれ転倒とみられても仕方ないが、二度とも白昼だった。年寄りの三訓として、
「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」と言ったのは確か岸信介元首相だったと記憶するが、その最初でつまずくとはうかつなことである。
とにかく、受け入れるしかない。三度目が起きないよう歩行には細心の注意を払っているつもりだ。しかし、注意力が万全かどうかが次の不安である。また、道を歩いていて、次々に追い越されると人生の落伍者のような気分に襲われたりする。
かつては〈速足の男〉と言われ、あとをついていくのが大変だと嘆かれたが、それがいくらか得意でもあった。いまは面影もない。しかし、そんなことを深く悩まないのが、受け入れる、ということだろう。
次に、心身の衰えに過度に反応しすぎないこと。これが大変むずかしい。過度とはどの程度のことなのか。
つまるところ、老いとどう向かい合うかである。当然のことながら、だれにとっても老いは初体験だから、戸惑うことばかりだ。世間には高齢者が書いた〈老いの哲学〉の本や雑文がはんらんしている。その内容は過度と思われるものもあれば、そうでもないものもあるが、相当肩に力が入っている点では共通しているようだ。
あまり理屈っぽく考えない方がいい、と私は思う。ただ、一つだけ悩みがある。酒席でのやりとりを翌朝、ほぼ完全に忘れるようになった。加齢のせいだ。特に約束ごとを失念すると相手に迷惑がかかる。こればかりは過度に反応せざるをえない。最近はポケットにメモ用紙を用意して、
「ちょっと待って……」と会話を中断してもらい、日程の約束などをメモすることにしている。しかし、再三メモも忘れる。始末が悪いのだ。いい知恵、ありませんか。
皇后さまにはご存じない、俗世間の悩みではありますが。(サンデー毎日)
杜父魚文庫
6602 皇后さまの「加齢」発言について 岩見隆夫
未分類
コメント