菅内閣発足後の国民不在の韓国併合百年謝罪談話、竹島領有記述の載った防衛白書閣議決定の先送り、尖閣諸島沖での中国船衝突事件での船長釈放とビデオ映像の非公開、ロシアのメドベージェフ大統領の北方領土・国後島訪問…と、ここのところ、ずっと、日本の主権と、主権者たる国民の知る権利が侵されているという思いがありました。
特に、尖閣問題では、菅政権によって領土保全という主権問題が無原則にないがしろにされる一方、国政の最終決定権者である国民に必要な判断材料が与えられないことに強い憤りを覚え、産経紙面でもこのブログでもそれを度々表明してきたところです。
また、今回、衝突ビデオ映像がsengoku38という人物によって暴露された件をめぐっても、いたずらに守秘義務を犯した国家公務員法違反という点(それ自体は否定しないものの)に問題を矮小化しようと務めている菅政権の閣僚らに対し、改めて姑息だなあと感じている次第です。最初から公開しておけば何も問題はなかっただろうにと。
で、そういうことをつらつら考えていて、イェーリングの名著「権利のための闘争」(1872年刊)を思い出したので、ちょっと引用して紹介したいと思います。イェーリングは自己の権利が蹂躙されることは、己の人格までもが脅かされることであり、権利のために闘うことは国会・社会に対する義務であると同時に、法の生成・発展にも貢献すると説きます。
以下のような言葉を、柳腰健忘長官や自分自身、また、たいへん僭越ながら訪問者の皆さんにも贈りたいと思います。今回の(いつもの)中国のやり方はもちろん、日本政府の国民に対する姿勢もまた、国民の権利を侵害するものだと強く感じているからです。
《二つの国民の間の紛争を考えてみよう。その一方が他方から、境界線の一平方マイルの無価値な荒野を違法に取り上げたとしよう。被害国は戦争を始めるべきか?(中略)このような権利侵害を黙認する国民は、自己に対する死刑判決に署名するようなものだ。隣国によって一平方マイルの領土を奪われながら膺懲の挙に出ない国は、その他の領土をも奪われてゆき、ついには領土を全く失って国家として存立することをやめてしまうであろう。そんな国民は、このような運命にしか値しないのだ。》
…時代背景も国際環境も当時と今とでは違いますが、それでも今まさに、日本政府と国民がこの点を試されているような危機感を覚えます。今回の一連の外交敗北は、日本を取り巻く国際環境がいかに不安定でもろいものであるかを、改めて実感する機会となりました。
《自分にとって大切なのは無価値な係争物ではなく自分の人格・名誉・権利感覚、矜恃なのだ》
…この点が菅政権には全く分かっていないから、国民が何に怒っているのかが理解できないのでしょう。そして、かつて菅首相がテレビ番組で「一億総白痴化になっている」と言い放ったように、相手国ではなくむしろ国民側を侮辱していますね(意識しているかどうかは別として)。
《人格そのものに挑戦する無礼な不法、権利を無視し人格を侮蔑するようなしかたでの権利侵害に対して抵抗することは、義務である。それは、まず、権利者の自分自身に対する義務である、――それは自己を倫理的存在として保存せよという命令に従うことにほかならないから。それは、また、国家共同体に対する義務である、――それは法が実現されるために必要なのだから。》
…それに対し、「ノー」を突きつけるのは、現政権に対してではなく、連綿として続く運命共同体としての日本国に対する義務であると。
《古代ローマのように窃盗や強盗の犯人の捜索がもっぱら被害者の任務だった時代に戻ったとしよう。権利の放棄がそこでどんな結果をもたらすか、わからない者がいるだろうか?窃盗や強盗を鼓舞することにしかならないではないか?全く同じことが、国際関係についてもあてはまる。そこでは、どんな国民も自分だけが頼りであり、自分の権利の主張を代わって引き受けてくれる上位の権力などというものは存在しない。》
…菅氏も仙谷氏も、もともと国家否定の思想、地球市民的発想の人ですから、こんな常識も見えていないと。あるいは、ルーピー鳩山氏よりは見えているかもしれませんが、斜眼帯をつけるか、「偏向レンズ」入りの眼鏡をはめるかしているのでしょう。
《権利の問題を利害問題と混同する物質主義的な見方を正当と認めるわけにはいかない。あからさまな恣意が権利に加える一撃は、権利に対するものであることによって同時に、権利に体現されている人格に対するものでもあるのだから。》
…とにかく中国に迎合し、叩頭してでも何をしてでも表面上を取り繕い、首脳会談してもらうのが「国益だ」などと堂々と主張されると、日本国民もバカにされたものだと率直に感じます。
《ある人間または国民が権利を侵害されたときにとる態度は、その品格の最も確かな試金石である。》
…もうかなり、他国からは見透かされたでしょうね。非常に残念ではありますが。
《権利者は自分の権利を守ることによって同時に法律を守り、法律を守ることによって同時に国家共同体の不可欠の秩序を守るのだと言えるとすれば、権利者は国家共同体に対する義務として権利を守らなければならぬと言えないわけがあろうか?》
…何としても、知る権利を守らなければなりません。
《外国から敬意を払われ、国内的に安定した国たらんとする国家にとって、国民の権利感覚にも増して貴重な、保護育成すべき宝はない。(中略)国民各個人の健全で力強い権利感覚は、国家にとって、自己の力の最も豊かな源泉であり、対内的・対外的存立の最も確実な保障物である。》
…とまあ、我田引水の勝手な切り貼りですが、イェーリングの言葉はとても熱く、強く訴えかけてくるものがあるので、たくさん使ってしまいました。「よらしむべし、知らしむべからず」を長年の政治信条としている柳腰健忘長官にいくら言っても、柳に風なのでしょうが…。
杜父魚文庫
コメント
図らずも公開されたビデオを見て、何十年ぶりかで思い浮かんだ言葉は「造反有理」と言う言葉です。これを見せると国民が怒るので見せられないといった民主党政治家の傲慢さに腹が立っております。次にデモが合ったらぜひ参加したいと考えます。