6654 仙谷氏の思惑通りにはもう物事は進まない 阿比留瑠比

今回も中国船衝突事件の映像の流出問題について書きます。今朝の新聞各紙は、これが本当に国家公務員法(守秘義務)違反の罪に問える事例なのかどうかについて、「守秘義務違反 立件に壁 映像の秘密性見解分かれる」(日経)、「割れる『秘密』の評価 立件検察にも慎重論」(毎日)、「守秘義務 割れる解釈」(産経)、「流出 映像は『秘密』か 『違法』成立の焦点」(読売)、「尖閣映像『守秘』に異論 検察幹部は強気 『無罪』の指摘も」(東京)…などとそれぞれ取り上げています。
要は、識者や現場の捜査担当者の間でも意見は分かれ、起訴して裁判にもちこんだところで、国民の知る権利とのはざまで大いに議論を呼びそうだということですね。実に興味深いところです。うん、うん。
ところが、そんな中で独り、自分は絶対に正しいという不動の信念を示した人がいます。そうです、われらが仙谷由人官房長官です。彼は昨日午後の記者会見で、ほとんど個人に向けた人格攻撃ではないかと思える論法で、海上保安官の犯罪成立に疑問を示す議論を否定してみせました。以下のやりとりです。
記者 法律の解釈について。有識者によっては、今回の事案が守秘義務違反に当たるのかどうかわからないという。今回のビデオは公益上の必要があるとして、国会にゆだね、議員の一部に公開された。つまり、守秘義務違反に問えない可能性も指摘されているのだが、どうとらえるか。
仙谷氏 あのー、新聞の社会面でその種のことを言ってらっしゃる、なんか学者とおぼしき方がいらっしゃるようにも思いますけども。たぶん、その方々もですね、「ちゃんとした論文に書け」と言ったらそんなこと書かないと思います。たぶん、わりと新聞社の方が、あの、その、何ていうのかしら、記事に合うような部分を持ってきていらっしゃるんじゃないかなという気はします。そんな解釈は成り立ち得ないと私は思ってます。
昨日の新聞の朝刊社会面でそういう論を述べていた人というと、堀部政男・一橋大名誉教授(情報法)のことでしょうか。在京各紙を私が読んだ限りでは、この人ぐらいしか思い当たりません。だとすると、仙谷氏は堀部氏に対し、「論文だったらそんなこと書かない」と決めつけ、あるいは、新聞が堀部氏の論旨を勝手に歪めたと言いがかりをつけています。
私は堀部氏がどんな学者であるか、どんな実績・業績があるのかも知りませんが、それにしても「学者とおぼしき方」という言い方も失礼だと思います。また、自分の考えと違うからと言って、「そんな解釈は成り立ち得ない」なんていったい何様のつもりなんでしょうね。仙谷氏の底なしの驕慢さにはあきれ果てるしかありません。
この過剰な攻撃性と他者を見下さずにはいられない性格は、いたずらに敵を増やすだけで官房長官という職に何のプラスもないと思うのですが…。
ちなみに、読売の記事にはこうあります。
《「流出した映像は国家公務員法上の『秘密』には当たらず、刑事罰には疑問がある」。堀部政男・一橋大教授(情報法)はそう話す。
最高裁は1977年、同法違反に問われた税務署職員の裁判で、漏らした情報が①一般人が知らない②秘密として保護すべき――の二つの条件を満たす場合にのみ、守秘義務の対象になるという判例を示した。行政機関が形式的に秘密扱いにしていただけでは、漏らしても犯罪にならないことになる。
堀部氏はこの基準について、「国民の知る権利の観点から、公務員の守秘義務の範囲が安易に広がらないようにした」と解説した上で、「今回は流出前から、海上保安庁が船長逮捕の会見で衝突の経過を詳細に説明し、衆院でもビデオが限定公開されて議員がその内容を記者に説明しており、一般人が知らない情報とは言えないのではないか」とする。》
仙谷氏は、問題を海上保安官の個人的な犯罪に矮小化して終結させたいので、自分たちの意に沿わぬこういう意見が、本当に苛立たしかったのでしょうね。
また、仙谷氏は新聞にもかみついていますが、堀部氏は昨日の夕刊では朝日で、きょうの朝刊では日経と毎日でも同じ趣旨のコメントをしており、仙谷氏の「◯×の勘ぐり」であることがよく分かります(ちなみに、「◯×の勘ぐり」という言葉は、仙谷氏がよくマスコミ報道について使います)。
さらに、今朝の各紙をみると、元最高検検事の土本武司・筑波大名誉教授も「違法性が阻却されることもあり得る。警察や検察は慎重な判断を求められる」(日経)、情報公開に詳しい清水勉弁護士も「守秘義務の対象とするのは無理だろう」(産経)、中央大法学部長の橋本基弘教授(公法学)も「仮に海上保安官を国家公務員法違反罪で起訴しても、無罪になる可能性は高い」(東京)も、元東京地検公安部長の若狭勝弁護士も「海保が一時公開の準備をするなど、秘密性の高い情報だったとは言えない。刑事責任を追及するのは違和感があり、国民の中にも同じ思いを抱く人は少なくないのではないか」といった見方を示しています。
もちろん、反対に守秘義務の対象だと見る意見もありますが、守秘義務違反には問えないという意見は仙谷氏に「成り立ち得ない」と決めつけられ、バカにされなければならないような少数・異端の論ではありません。それなのに、この人はどうしてこんな言い方をするのか。恫喝手法が骨の髄までしみ込んで、普通の話し方が分からなくなっているのでしょうね。
共感を覚えたので、スクラップしておいた日経の記事があります。10月31日付の「中外時評」がそれで、「国民とは『どうでもよい人』? 尖閣事件での罪深い対応」と題した小林省太論説委員のコラムです。私が思わずアンダーラインを引いた部分を抜粋して紹介します。
《…しかし今回、ことは読み通りには進まなかった。「わが国国民への影響や、今後の日中関係への考慮」を口にしたのは那覇地検で、仙谷由人官房長官は「地検からの報告を了とした」としか言わなかったのである。
あの日の違和感。もちろん一つには突然の釈放決定にあったのだが、もうひとつ、地検の説明も政府の対応も「ありえない」という感覚からも生じた。「おかしい」よりももっと強い、「われわれはうそをつかれている」「政府は主権者を信頼していない」という怒り、絶望に近い感情を抱いた人も少なくなかったのではないか》
菅直人首相や仙谷氏の言動に対して、私が感じていることと同じです。そして、それに輪をかけて情けないのは、この人たちは、国民がうそをとっくの昔に見破っていることに未だに気づかず、うそをつき続け、ごまかし続け、言い逃れを続けているということです。そんなリーダーをいただいてしまったことを、独りの日本人として心から悲しく思います。
国民は、仙谷氏らの思惑通りに誘導されたり、騙されたりはもう決してしないだろうといま考えています。
杜父魚文庫

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