菅直人首相の国会答弁には、「検討する」が目立つが、もう一つ、頻繁に出てくるのが、「まさに……」だ。この副詞には三つの意味がある。
(1)<正に>は間違いなく、確かに(2)<当に>は当然(3)<将に>はちょうど今、今にも。菅がどの意味で使っているのか、しばしば分からない。つまり、あいまい語だ。発言に厳密さを求められる首相は使わないほうがいい。
政治は<言葉の戦争>である。菅は言葉の矢玉に威力をつけるため<まさに>を常用しているのだろうが、効果は疑わしい。
菅だけでなく、最近は政治家の言葉に精彩が乏しく、ドンパチの鋭い火花が散ることも少なくなった。
ところで、テレビでおなじみの政治評論家、三宅久之が新著「書けなかった特ダネ」(青春新書)を出版した。三宅は毎日新聞政治部記者のスタートが1954年、吉田政権から菅政権まで28代を、56年間も取材し続けてきた現役の最古参、80歳。
半世紀余りに及ぶ永田町攻防史が赤裸々につづられているが、中でも印象的なのは、かつての政治家が残していった言葉の数々だ。いくつかの場面を披露したい--。
▽55年早春のある日、皇居での内奏からあたふたと官邸に戻ってきた鳩山一郎首相は、顔を蒼白(そうはく)にして、
「陛下は日ソ交渉に反対された」とうなだれた。昭和天皇の発言を詳しく聞きとった後、側近の河野一郎農相が口を開く。
「総理、陛下のお言葉はご質問であり、ご意向の表明ではないのではないですか。政府の決定に陛下が反対されるのは、憲法上あり得ないことですから。あくまでご質問だったことにして、日ソ交渉は予定通り進めましょう」
この一言で、日ソ復交の扉が開いた。
▽岸信介が首相になって間もないころ、公邸の応接室で三宅ら数人の首相番記者と雑談していたが、突然、こんな話をした。
「夕べ眠っていたら、胸の上に何か重たいものがのしかかってきて、目が覚めた。初めての経験なので、布団の上に座り直して、あの重いものは何だったのかと考えた。そのうち、はたと思い当たった。あれは日本という『国家』の重みではないか。果たして自分に担いでいけるだろうか、と粛然たる気持ちになったが、もう後戻りはできないと自分に言い聞かせたんだ」
若い記者を相手の決意表明、三宅は、
<戦犯容疑者の岸に好感が持てないでいたが、少し見直す思いだった>と書いている。
▽73年、田中角栄首相が突如として、小選挙区制実現に向けて動き出した時である。区割り試案まで示され、与野党を揺るがす大騒動になる。特に小党にとっては死活問題だ。
5月某日の深夜、民社党の春日一幸委員長は東京・目白台の田中邸に乗り込み、就寝中の田中を起こして断念を迫った。田中は、
「共産党の進出を封じ込めるために不可欠だ」などと応じたが、春日は断固として引かない。
「今夜は党の代表として発言しているのではない。国を憂う一人の国士として言っているんだ。もし、自民党が強行するなら、社公民とも一緒になって新しい政治団体をつくり、1人区では共同して保革対決に持ち込むことも辞さないぞ」
この春日節が効いた。断念となる--。いずれも、言葉が鋭利だった。(敬称略)
杜父魚文庫
6666 政治評論家・三宅メモに残る「言葉」 岩見隆夫
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