ソ連や中共の例を出すまでもなく左翼政権に共通するのは自由な言論の封殺である。民主党政権を”極左政権”と評する向きもあるが、基本的にはリベラル保守の政権であった。それが少数の社会主義者に政治の主導権を壟断されているところに迷走の原因がある。
今、必要なことは民主党がリベラル保守に回帰することではないか。民主党を支持してきた国民の多数が民主党離れをみせて、菅内閣の支持率が一斉に急落したのは、すでに消滅した旧社会党のイメージと民主党を重ね合わせて観ているからだ。
さらに言うなら旧社会党は西欧的な社会民主党政権を目指す勢力があった。江田三郎氏や成田知己氏が主導した構造改革路線は言論統制の片鱗もみせていない。むしろ言論の支持を得て、イギリスの労働党的な政党に脱皮する道を選んだ。
それが戦前からある労農派主体の左派との権力抗争に敗れた。左派は構造改革派を葬るために、60年安保後に急速に力をつけた社青同・極左集団と手を結んだ。一方、構造改革派は自民党内のリベラル保守との連携を模索している。左派集団は江田三郎氏を右傾化の張本人と攻撃し、旧社会党の主導権を握った歴史がある。
党内抗争に明け暮れた旧社会党は次第に国民的な支持を失って消滅する運命を辿ったが、それに拍車をかけたのは戦闘的な総評という組合集団の組織率が低下したことにある。日教組や国労、自治労という総評の中核を担った労働組合が、一億総中流意識を持った国民大衆が組合離れをみせたことによって昔日の力を失っていった。
総評依存の旧社会党が凋落し、マルクス主義を信奉した共産党が固い党員層に支えられて生き残った。この時に多くの構造改革派は地方首長の選挙に出て、地方から中央に攻め上る路線に転換している。この路線は現在も健全である。地方首長選で勝つためには、言論統制などはやっておれない。地方の首長になれば、必然的にリベラル保守に近づく。
民主党が安定した政権を維持しようとしたら、地方から中央に攻め上る路線を堅持して、リベラル保守化していく道しかない。これは江田三郎氏が目指した西欧的な社会民主党政権の道である。
長期化した自民党政権の失政によって、民主党が政権を握ったことは、準備不足なまま政権交代した弱点を露呈している。その弱点をかばうために言論統制をするなら国民の支持が離れていく。やはり民主党はリベラル保守の原点に戻るべきであろう。自民党内にあるリベラル保守派との連携も視野に入れる必要がある。
杜父魚文庫
6692 民主党はリベラル保守の原点に戻れ 古沢襄

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