6721 『シオンの議定書』とユダヤ陰謀説 宮崎正弘

我々が主人だ、と中国は欧米トップに堂々と主張し始めた。五百年の西側優位の歴史は終わるのか、とニアル・ファーガソン(著名歴史家)。
「中国が西側の徒弟でないことはもはや明らかである」とニアル・ファーガソンは結論づけている(ウォールストリート・ジャーナルへの寄稿、11月18日付け)。
大胆な展望と未来をみつめる歴史解釈でしられるファーがソンはハーバード大学教授。日本でも著作は邦訳されている。来春に『西側とその他と』という新作を出す。
「北京で会う人ごとに『我々が主人である』と言われた。オバマもヒラリーもチモシー・ガイトナー財務長官も、そしてベン・バーナンキFRB議長も。北京は人権改善要求に聞く耳を持たず、軍事力の透明性開示にも、人民元切り上げにはまったく応じない」とファーがソンは書き出した。
アメリカの指導者は虚仮にされて、とぼとぼと帰路についた。北京に紫禁城が築かれて五百年、文明力を誇った明王朝には富の蓄積がなかった。西暦1600年(わが関ヶ原の役の頃)、英国のひとりあたりのGDPは中国より60%高かった。
1820年、米国の一人あたりのGDPは中国の二倍、1870年にはこれが五倍になり、1913年には十倍となった。格差は開く一方だった。文革に突入した1968年、米国の一人あたりのGDPは中国の33倍となっていた(これはPPP(購買力平価)をドルベースに換算したもので数字は同ファーがソン論文より援用)。
西側が世界に優位だった六つの条件とは(1)企業の自由競争(2)科学的発展(数学、物理学、天文学、化学、生物学)が凄まじかった(3)法治と知的ならびに私的財産の保証(4)近代医学の発展(5)工業社会かによる消費社会の実現(6)勤勉性である。
 
そして日本の明治維新にまるごと適用され、日本は凄まじく発展した。『日本はすべて西側を真似て円滑に近代化を成し遂げた』(ファーがソン)。
『アジアの残りの国々は日本の成功に倣って繊維、鉄鋼など産業を勃興させ、シンガポール、香港、台湾、韓国が奇跡を続行し、米国、香港、日本のひとりあたりのGDPは並んだ。
改革開放から三十年で、中国は英国が七十年かけた産業革命のよる近代化を成し遂げ、「2013年に中国は世界GDPの一割に達し、2027年に米国を抜く」(ゴールドマンサックスの試算)と予測されるまでになった。
他方でギリシアの債務は歳入の312%、ところで米国のそれは358%。米国は利払いに歳入の9%を充当しており、2030年にはこれが36%となる。
米国は輸出二倍増計画を決め、人民元の切り上げを求め、中国はぴしゃりと拒絶し、米中を基軸に世界は通貨戦争に突入した。
世界は中国を軌道に回り出したかのようである。これでは恰も「CHIMERICA」ではないか。世界的著名歴史家も中国の勢いには脱帽の様子である。
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http://www.niallferguson.com/site/FERG/Templates/Home.aspx?pageid=1
(上記はファーがソンのホームページ ↑)
   
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(読者の声)貴誌3137号、「ローマ法王庁、ふたたび中国に激怒」の記事で、「中国国内にはいくつかの教会が存在するが、いずれも公安の監視のもとにあり、表向きの信者はリストアップされている。だから庶民は地下教会に流れる」とありましたが、戦前の中国も宣教師は国民党の監視下におかれ、ミッション・スクールは焼き討ち・略奪される様子が、上海・福州の副領事を務めたタウンゼントの『暗黒大陸中国の真実』に詳しい。
1932年(昭和7年)前後の排外主義のシナ、アメリカ人が何人殺されても、ひたすら我慢のアメリカ政府はいまの日本政府にそっくりです。心ある宣教師や外交官が中国の実態をアメリカ人に知らしめようにも、当時のアメリカのメディアは親中派が圧倒的とこれも今の日本とよく似ています。
同書のなかに当時の福州(福建省)で起きた日本人殺害事件への日本の対応も書かれています。田村福州総領事は中国側に賠償を求めるも、言を左右にしてまともな返事をしないシナの役人に業を煮やし、『よろしい。これ以上申し上げることはない。後はそちらのご判断しだいである。一言申し添えるが、当方はすでにことの詳細を海軍に打電し、軍艦数隻がこちらに向かっている。おわかりかな。熟慮のほど、重ねてお願い申し上げる』と談判したところ、たちまち解決。
『中国人には田村式が一番である。愉快なことに、あの件があってから福州では日本人に対する態度が一変した。日本人殺害はもちろん、あらゆる反日行動がぴたっと止んだ。日本人は最高の扱いを受け、最も尊敬される外国人となった。アメリカ領事は軟弱政策ゆえに、反米運動の対処に忙殺されている。イギリスも似たりよったりだ。
日本領事はどうだ。「いつでも軍艦を呼ぶぞ」という毅然とした田村総領事のおかげで、自国民を保護し、全世界の在中国領事が束にかかっても叶わない、いやその十倍の成果を上げている。毎日、私は昼食のため、日本領事館の前を通ったが「門前市をなす」である。台湾行きのヴィザ取得のためである。台湾は日本領である。
中国では働いても働いても、同じ中国人の役人に搾り取られるが、台湾に行けばそんなこともなくなるからである。』とタウンゼントは当時の日本を正当に評価しています(そのため真珠湾攻撃後、一年ほど投獄されたほど)。ならず者国家を相手にするには軍事力の裏付けが必須であることがよくわかります。ただ何ゆえ当時のアメリカやイギリスが中国に対して軟弱だったのか?近い将来の対日戦を想定してのことだったのでしょうか。
貴誌同号「(読者の声)」で「先日、逢ったドイツ人が、旧プロイセンも、アングロ・クリスチャン・ジュ一イッシュ、フリーメイソン、シオニストとロスチャイルドの血盟団にやられたんだと。(中略)巨大資本家の闇は深い」(伊勢ルイジアナ)とありましたが、山岡荘八の小説『軍神杉本中佐』(昭和17年)の中にもユダヤ資本の話が出てきますね。
シナの軍閥双方に武器を売り、さらに日本を戦争に引きずり込む。世界の新聞・通信社の8割がユダヤ資本で、世界のニュースを読むということは、彼らの宣伝文を読まされることになる、とあります。
ただドイツも国民党軍を育成し大量の武器を売りつけていたのですからユダヤだけでは語れないと思うのですが。戦争を煽ったのがユダヤなのか、国際金融資本なのか、共産主義者なのか、さまざまな要素が絡み合っていたのでしょうが、戦前の日本人の国際情勢認識は現在よりはるかにシビアです。
ユダヤといえば、アメリカでもリンドバーグやヘンリー・フォードは反ユダヤの言論を行っていましたがスポンサーの圧力や不買運動、ラジオでの録音のツギハギによる論旨のねじ曲げなど、さまざまな圧力があったようです。
その一方で1939年の「スミス法」や1941年の「ラッセル法」でユダヤ移民の受け入れを規制しています。リンドバーグはアメリカはイギリスとユダヤ人の戦争に巻き込まれるな、と主張していましたが、フィリップ・ロスの小説「The Plot Against America」ではリンドバーグがアメリカ大統領になり、政府内外の孤立主義者は新法を次々と成立させ、宗教的な嫌悪感を煽り立て、やがてその嫌悪感は全米規模のユダヤ人虐殺で頂点に達する、というストーリーになります。
反ユダヤ感情は欧米では伏在しているのでしょうが、ユダヤ関係の本は読めば読むほどわからなくなります。先ごろ亡くなられた小室直樹氏は、副島隆彦の「ユダヤによる世界支配の陰謀というのは在るのですか?」との問に、一言のもとに、「そんなものは無い。何故なら、彼らほど、お互いに裏切り合う人々はいないからだ。そのことは、『旧約聖書』を読むと、嫌というほど、たくさん書かれています」と答えたとか。
ユダヤの陰謀はともかく、中国の対日工作は現実の脅威です。小泉元総理の秘書官だった飯島勲氏に言わせると、菅総理は「Leader」ならぬ、首脳会談でメモを読み上げるだけの「Reader」、テレビメディアも菅内閣に見切りをつけたようです。(PB生)
(宮崎正弘のコメント)『シオンの議定書』はナチスではなくロシア皇帝の秘密警察がでっち上げた偽造文書。しかし、いまだにこれを本物と信じて、ユダヤの陰謀を説く一群の人たちがいますね。
シオン賢者の議定書: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『シオン賢者の議定書』(シオンけんじゃのぎていしょ、The Protocols of the Elders of Zion)とは、ロシア帝国内務省警察部警備局により捏造された「秘密権力の世界征服計画書」という触れ込みで広まった会話形式の文書で、1890年代の終わりから1900年代の初めにかけて露語版が出て以降、『ユダヤ議定書』『シオンのプロトコール』『ユダヤの長老達のプロトコル』とも呼ばれるようになった。
ユダヤ人をおとしめるために作られた本であると考えられ、ドイツのナチスに影響を与え、結果的にホロコーストを引き起こしたとも言えることから『史上最悪の偽書』、『史上最低の偽造文書』とも呼ばれている。しかし反ユダヤ主義者や陰謀論者の間ではこれらの過程は無視され、「本物」として主張の根拠に用いられている。
この文書は1897年8月29日から31日にかけてスイスのバーゼルで開かれた第一回シオニスト会議の席上で発表された「シオン二十四人の長老」による決議文であるという体裁をとっている。そして、1890年代末から1900年代初めにかけてロシア帝国内務省警察部警備局により捏造されたとする説が有力である。1920年にイギリスでロシア語版を英訳し出版したヴィクター・マーズデン(「モーニング・ポスト」紙ロシア担当記者)が急死したため(実は原因は伝染病)、そのエピソードがこの本に対する神秘性を加えている。
ロシア革命によって、日本を含め世界中にこの文書は広がった。一般人だけでなく、ヒトラーやヘンリー・フォードなどもこの文書を熱狂的に支持した。ロシアではソビエト時代になると発禁本とされた。
この文書は既に発行されていたモーリス・ジョリー著『マキャベリとモンテスキューの地獄での対話』(Maurice Joly, Dialogue aux enfers entre Machiavel et Montesquieu、仏語、1864年)との表現上の類似性が指摘されている。地獄対話はマキャベリの名を借りてナポレオン3世の非民主的政策と世界征服への欲望をあてこすったものである。シオン賢者の議定書は地獄対話の内容のマキャベリ(ナポレオン3世)の部分をユダヤ人に置き換え、大量の加筆を行ったものとされる。
このことは1921年8月16日から18日にかけて英紙『タイムズ』が報道を行った。報道の中で、コンスタンチノープルの記者フィリップ・グレーブスは表紙にJOLIと印刷された古本がプロトコルの元ネタだと暴露した。『タイムズ』の編集部は大英博物館に保管されていた『マキャベリとモンテスキューの地獄での対話』と本書とを比較して、その正体を明らかにした。この報道のため、英国では熱は冷めてしまった。
杜父魚文庫

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