6747 菅さん、仙谷さんは「辺境人」なのか 岩見隆夫

この夏、外務省事務次官を退任したばかりの薮中三十二さんは、新著『国家の命運』(新潮新書)のなかで、〈二〇〇九年に刊行された内田樹さんの『日本辺境論』はかなり話題になったが、内田さんは、日本人は「常に世界の中心(中華)を自らの外に置く国民であり、辺境の民である」としたうえで、それでいいじゃないか、辺境人として生きていこう、と呼びかけている。
私自身は、この指摘に大いに興味を持ったものの、日本人が辺境人のままでいいとは思えない。内向きで、高齢化していく島国、このままでは世界の潮流からも、時代からも、取り残されて衰退してゆくのではないか、と危惧せずにはいられない〉と書いている。私も日本辺境論は面白い着眼とは思ったが、それに甘んじて生きようということには同調できない。
尖閣、尖閣で二カ月半が過ぎた。この間の民主党政権の対中外交は、稚拙極まると批判を浴び、そうに違いないが、外交技術的なことだけでなく、辺境国家の卑屈さのようなものも漂っていたのではなかろうか。
十一月十三日夕、横浜で菅直人首相が胡錦濤中国国家主席との会談にこぎつけた際、菅さんが下を向きペーパーを読みながら発言したのには仰天した。何度首脳会談を見てきたか覚えられないほどだが、こんな光景はどの国の首脳にも一度もなかったからだ。
以前、菅さんがオバマ米大統領と会談した時も、ひと言しゃべるたび、横の通訳(つまりオバマの席と逆の方向)に顔を向ける落ち着きのなさに、驚いたことがある。胡錦濤もオバマも終始背を伸ばし、まっすぐ菅さんの目を見ている。あたかも主従の向き合いのように映った。
首脳会談のイロハのような話で、アドバイスしない外務官僚にも罪があるが、やはり、こんなところにも辺境人の卑屈さを感じる。だが、戦後の首相には、そうでなく、堂々と胸を張って渡り合った人も何人かいる。いずれ書く機会があるだろう。
対中外交では言いたいことがいくつもあるが、とりわけ尖閣ビデオ問題は整理しておく必要がありそうだ。ビデオ流出騒動ではなく、公開問題である。
あの中国漁船による体当たりビデオは、日本にとっての最有力外交カードとして、即刻、世界に向けて公開すべきだった、とほとんどの国民がいまも思っている。世論調査をやると、二割ほどが公開反対だが、これは対中配慮、超大国の中国と事を構えないほうがいい、という辺境人の知恵みたいなものかもしれない。
だが、海上保安庁の巡視艇に中国漁船が一方的に故意にぶつかってくるのはミニ戦争同然の蛮行で、これを世界に知らせず、蛮行の意図を探ろうともしないとすれば、辺境国どころか、独立国の資格が疑われる。
◇屈服にしろ自粛にしろ中国のパワーを恐れた
では、なぜ公開しなかったのか。ここからすべてのボタンの掛け違いが始まっている。即時公開し、国際世論の非難が高まれば、中国側は船長の釈放要求などできなかっただろう。
『週刊朝日』最新号の記事によると、菅夫人の伸子さんは最近、民主党関係者にこう愚痴ったという。
「船長が逮捕された直後は、菅も『ビデオは公開したほうがいいよな』と言ってて、私も『そりゃそうよ』と話してたの。それが翌日、仙谷さんに相談したら、これは証拠物だから、裁判になった時にどうだ、こうだと、弁護士の法律論を言われて……。菅もそういうことはよくわからないから、そうか、と納得しちゃった。最初は公開するって言ってたのにね」
これが事実なら、公開論の菅さんが、仙谷由人官房長官の法律論に押し切られたことになる。重大な政治決断を、〈よくわからないから……〉でパスしてしまうとは、まことに頼りない首相だが、しかし、背景はそれほど単純なことだろうか。
外交専門家の意見も、公開で一致している。高村正彦元外相は、
「初期の段階でビデオを公開すればよかった。中国だって世界の人たちの反応を気にする。あそこまで手を振り上げることはなかったのではないか」と言い、外交評論家の岡本行夫さんも、
「中国漁船がやったことは粗暴犯だが、中国側は『日本が悪い』と本気で思っている。だから、ビデオを見せるべきだった」と、いずれもビデオ公開によって、中国側の理不尽な対日圧力の数々を防ぐことができたはず、とみているのだ。
菅・仙谷両者の間でどんなやりとりがあったにしろ、そうしたビデオ公開によるメリットがわからないはずがない。しかし、仙谷さんは、非公開方針の理由を、
「ビデオは裁判の証拠物だから……」と述べるだけで、説得力に乏しい。船長釈放のあとは事実上捜査が終わり、起訴も裁判もないのだから。
非公開方針の理由はほかにあった、と私は思っている。ある外交通は、「とにかく、日本はスパイだらけだからなあ。海保(海上保安庁)のなかにも、中国のスパイがいるとみるのが常識だ」
と、ビデオの中身が中国側に伝わっていたことをほのめかした。海保だけでなく、スパイはどこにいるかわからない。
中国側は、ビデオを公開するな、と圧力をかけ、日本側が屈したのではないか。あるいは、公開による中国側の反発を警戒して、日本側が自主的に手控えたのかもしれない。屈服にしろ、自粛にしろ、大国・中国のパワーを恐れた点では同じである。
それは弱腰外交ではなく、しなやかで、したたかな柳腰外交だ、と仙谷さんは国会で答弁した。押したり引いたり、時に圧力に屈したとみせるのも手の内で、次のチャンスに打って出る、というニュアンスだ。
わからないではない。しかし、いかなる時も国はなめられてはならない。菅さん、仙谷さんは辺境人になり切っているようにもみえて、不安だ。(サンデー毎日)
杜父魚文庫

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