6771 酷似している一九九四年危機と二〇一〇年危機 古沢襄

歴史は繰り返すというが、十六年前の一九九四年に朝鮮半島情勢をめぐって一触即発の戦争の危機を迎えていた。ドン・オーバードファーの「THE TWO KOREAS」には一九九三年末から一九九四年初めにかけてクリントン政権下での北朝鮮に対する国際的な緊張の高まりを詳細に描いている。米国の「情報の自由法」に基づいた文献、公文書に依拠したこの著作は十六年後の今日でも資料的な価値を失っていない。
一九九〇年初めに米国は北朝鮮侵攻の「作戦計画50ー27」を策定、修正を重ねてはいたが、韓国の李柄台国防相が韓国国会で作戦計画の大筋を証言する事件が発生している。九四年三月二十三日のことである。機密扱いの計画が暴露されたことで在韓米軍の幹部は腰を抜かすほど驚いた。
五月十九日、ホワイトハウスでクリントン大統領、ペリー国防長官、ラック在韓米軍司令官が会合、朝鮮半島で戦争が勃発すれば、最初の九十日間で米軍兵士の死傷者は五万二千人、韓国軍の死傷者は四十九万人にのぼるという重要報告が行われている。
朝鮮半島は一触即発の危機的情勢にあったが、日本は細川内閣が倒れ、四月二十八日に羽田内閣が発足、僅か六十四日間の短命内閣に終わっている。羽田内閣が倒れたのは六月三十日。この時の内閣官房長官は熊谷弘(新生党)、外務大臣は柿澤弘治(自由党)、防衛庁長官は神田厚(民社党)、国家公安委員長は石井一(新生党)。政権の存続を賭けて閣僚は慌ただしく動いていたから、日本海に米第七艦隊が集結し朝鮮半島の危機的な状況を知る由もない。
何よりも米国は日本政府には軍事情報を秘匿していた。断片的ながら首相官邸の内閣官房副長官(事務)の石原信雄のところには、いくつかの情報が入った程度である。朝鮮半島の有事の場合には、避難民が九州に逃れてくると関係次官の間で協議していた。
「作戦計画50ー27」については軍事評論家の松井茂が「謎の軍事大国 北朝鮮」で書いている。元山沖には米海軍の旗艦ブルーリッジ、空母のキテイホーク、インデイペデンスなど四隻など空母機動部隊がいた。
いずれも実態が明らかになったのは数年後のことだった。それにしても一九九四年危機と現在の危機的状況は酷似している。政権末期にあった羽田政権と菅政権という政治状況も似ている。一九九四年危機はカーター元大統領が訪朝して金日成主席と劇的なトップ会談をして回避された。二〇一〇年危機も回避されるだろう。それには北朝鮮が瀬戸際外交という”火遊び”を自制することに懸かっている。
杜父魚文庫

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