国府軍の荘南園陸軍大佐の案内で金門島を視察・見学したことがある。一九五八年八月二十三日に大陸の中共軍が金門島に一斉砲撃を開始、金門島を守備していた国府軍は不意をうたれて四百人を超える死傷者がでた。
米国はダレス国務長官が「金馬地区を奪取することは平和に対する脅威である」と警告を発し、中共による侵略行為を非難した。しかし、こんなことで怯む中共ではない。翌日の二十四日にも金門島の灘頭陣地、料羅湾埠頭、金門空港や砲兵陣地に対し砲撃を加えた。
これをみて米第七艦隊が台湾海峡に入ってきて空軍、海兵隊、陸軍の三軍による共同演習を実施し中共を牽制した。ここまでの経過は、現在の北朝鮮軍による延坪島砲撃と黄海での米韓合同軍事演習に至る状況と似ている。まさに歴史は繰り返されている。
その後のことである。国府軍も反撃の砲撃を開始したが、射程距離も破壊力も大したものではない。そこで米国は8インチ榴弾砲を国府軍に供与、二十六日以降は中共のアモイの大嶝、二嶝の砲兵陣地が大きな打撃を受けた。二十八日以降は「金門砲戦」といわれた戦闘は終息化に向かっている。
私が金門島に渡った1965年には中共軍と国府軍が隔日砲撃するという妙な取り決めをしていた。金門島の最北端にある馬山要塞に入ったのだが、偵察陣地から双眼鏡で大陸側をみると、トーチカで固めた中共の守備陣地が指呼の間に散在していた。馬山から大陸の岸まで4000メートル、一番近い角嶼島まで僅か2300メートルしかない。
中共軍は五万発の砲撃を金門島に浴びせた後に、上陸用舟艇で一斉に海を渡って侵攻してきた。砲戦は上陸作戦の前触れであった。しかし国府軍は地下陣地に配備した速射砲を連射して中共軍を撃退した。私は「金門砲戦」が終息化に向かったのは、中共軍が上陸作戦で甚大な被害を出して失敗したのが原因だと思っている。中国大陸にへばりついた様な形の金門島は、いまもって台湾領土。近年、観光地として大きく変わっているそうだ。
この上陸作戦の阻止で日本の旧軍人・根本中将が作戦指導に当たったといわれるが、国府軍はあまり触れたがらない。荘南園陸軍大佐も「金門砲戦」のことは饒舌に喋ったが、上陸作戦の話になると金門島の洞窟陣地に連れていって、最新鋭の速射砲と米式装備の武装兵の自慢話に話がそらされてしまった。
金門島の地下洞窟陣地を見ているので、北朝鮮の海岸砲陣地には興味がある。黄海側の海岸砲は西海五島の対岸で千門、日本海側を含めると一万門の海岸砲を配置しているという軍事情報もある。韓国の中央日報に面白い記事が出ている。
<「11月23日、黄海南道カンリョン郡プポ里(ファンヘナムド・カンリョングン・プポリ)。カンリョン半島にある北朝鮮4軍団33師団。師団直属砲大隊のケモリ海岸砲中隊に戦闘命令が通達された。本物の戦闘開始信号だ。北朝鮮の兵士らは訓練を受けた通りに行動した。兵士たちは山の裏側の斜面に沿って深く掘られた塹壕を過ぎ、100メートル余りを上がった後防空壕を経て坑道に入った。
海岸砲中隊は海岸の絶壁を挟んだ海側斜面の坑道の中に配置されている。その中で76.2ミリ砲座台に射撃手と照準手が座った。山頂の坑道にある指揮小隊から座標と照準角度指示が下った。見慣れた延坪島(ヨンピョンド)の地形地物だ。海岸砲は信号により一斉に発射された。13分後。延坪島に配置された南側海兵K-9自走砲が海岸砲中隊施設を強打した。
兵舎と食堂など地上施設を破壊した。しかし山の中を掘って作った坑道にいる兵士たちに被害はなかった。南側の1次対応射撃が終わるとすぐに座標がまた通達された。発射14分後、また延坪島にある南側のK-9自走砲が攻撃した。しかし坑道内の北朝鮮兵士らには何の被害がなかった」。
以上は仮想状況だ。今回攻撃をした北朝鮮4軍団33師団海岸砲で勤務経験のある脱北者と元4軍団関係者の証言を総合して作ったものだ。彼ら脱北者は今回の海岸砲攻撃は北朝鮮4軍団33師団直属砲大隊のケモリ海岸砲中隊が動員され、北朝鮮軍に被害はほとんどないと指摘する。
■作戦開始時は金父子の肖像画から管理
4軍団33師団で勤務したキム・ソンチョル氏(48・仮名、6年前に脱北)は、「延坪島砲撃はカンリョン郡プポ里、すなわちカンリョン半島を管轄する4軍団33師団直属砲大隊所属ケモリ海岸砲中隊がやったもの」と述べた。彼は「4軍団33師団は海州(ヘジュ)から甕津(オンジン)まで海岸砲で防御し、156連隊がカンリョン半島防衛の責任を負う。ケモリ海岸砲中隊は156連隊砲大隊所属」と話す。また、「放射砲は33師団26連隊の122ミリ砲大隊が動員されただろう」としている。
彼は、「南側のK-9自走砲攻撃にもかかわらず、海岸砲作戦を開始する前にすべて坑道に入ったため北朝鮮軍の人命被害はほとんどないだろう」と話した。準戦時体制が宣言されればすべての兵士は坑道に入ることになっているため、先制攻撃を敢行した今回の場合が準戦時に当たるという。また、「師砲軍(師団砲隊)作戦では軍団砲兵副司令官、砲参謀ら、師団長、砲兵副師団長、砲連隊長、砲大隊長などが総出動するため人命被害が出るように放置することはない」とした。
延坪島を先制攻撃した後に韓国海兵隊の攻撃を受けた北朝鮮が受けた被害に対する公式評価はまだない。合同参謀本部は26日の定例会見で、「北側の被害を分析しようとしているが制限的に確認されている。ムドとケモリ地域に火災が発生し、ケモリ地域には多数の被弾痕が確認され、ムド地域でも被弾した痕があった」と明らかにした。「1発の殺傷範囲が5050メートルのK-9自走砲が北朝鮮の海岸砲基地テントなどに集中砲撃を加え北朝鮮は少なからぬ被害を受けたとみている」とした。
キム・ソンチョル氏ら関連脱北者らはこれに対し、「北朝鮮兵士らは坑道に入っており、テントなど地上施設を砲撃しても人命被害をもたらすことはできない」話す。キム氏は、「一般戦術訓練時は戦闘員だけ坑道に入り、部隊には当直将校、当直兵士、食堂勤務、正門歩哨などの勤務兵力は残す」という。キム氏などによれば北朝鮮軍の戦闘教範上の戦闘手続きは、攻撃前にまず政治局所属党員らが教養室の金日成の半身石こう像と各兵舎の金日成・金正日父子の肖像画から専用の箱に収め、坑道内の専用の部屋に保管するようになっている。そして指示により兵士たちは坑道に入る。
東海(トンヘ・日本海)海岸砲部隊の7軍団10師団10砲連隊で服務したイ・グァンフン氏(42・仮名)も「東海岸の洪原(ホンウォン)、利原(イウォン)、楽園(ラクウォン)などにある海岸砲部隊でも、今回のように挑発する時は部隊に砲弾が落ちることに備え当直兵士まで坑道に待避させる」とした。
山の中に穴をあけて作った坑道は人工の要塞だ。延坪島とペクリョン島で“絶壁の穴”に見える北朝鮮の海岸砲はすべてモグラの穴のように山の中でつながる坑道に連結されている。地上部隊は防空壕を経て坑道につながる。戦時訓練の時に兵士らは近いところにある山の裏につながる防空壕に移動する。
防空壕は兵士らの生活が可能な兵舎のようになっており食堂もある。防空壕と坑道に入れば攻撃できない。坑道には1週間分の戦闘のための砲弾と食糧が積載されている。北朝鮮の旅団級部隊に所属する大隊は500~600人、一般単独大隊は300人余り程度だ。小隊は20人余り、中隊は100人余りになっている。中隊級規模のための坑道には100人余りの兵士の1週間分の食糧と砲弾が準備されている。坑道の長さは通常100~200メートルで、さらに長い場合もある。
■部隊員死亡時は指揮官に厳重責任
兵士2人が胸を張ってすれ違える幅の坑道はそれぞれ砲台につながる。砲台入口には弾薬庫がある。海岸砲の場合、15メートルの長さのレールを使い砲が前後に移動する。キム氏らは、「ひとまず坑道中に入れば、海側から直射砲で砲座台を正照準し撃たなければ後方から破片が飛び込んでくることはない」という。彼は、「南側が先に攻撃する場合だけ、坑道に入れない北朝鮮軍兵士らが死ぬことになる」といった。
前人民軍指揮者同化大学で軍作戦戦術模擬プログラムチームで勤めた朝鮮人民解放戦線のチャン・セユル参謀長(42)も、「延坪島砲撃はすでに最高司令部が相当以前から綿密に計画された挑発であるため、人的被害は0%と言えるだろう」とした。彼は「あらかじめ準備した作戦に人命被害が出れば指揮官らが連帯処罰を受ける。今回の事件はあらかじめ計画された挑発であり、交戦中はすべての人員を待避させた状態で砲撃を始めている」とした。(中央日報)>
杜父魚文庫
6781 延坪島砲戦と金門島砲戦 古沢襄

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