黄海で実施された米韓合同軍事演習は一日で終わる。米原子力空母ジョージ・ワシントンや米韓イージス艦四隻の空母機動部隊の圧倒的な打撃力をみせつけられては、北朝鮮もうかつには手をだすわけにはいかない。合同演習の陰に隠れて韓国軍は延坪島など西海五島に多連装ロケット(MLRS)やK-9自走砲を増強配備した。
合同軍事演習が終われば、ジョージ・ワシントンや米イージス艦隊は横須賀米基地に帰投するであろう。米艦隊の補給がなれば、東支那海で日米艦隊の合同軍事演習が計画されている。韓国軍合同参謀本部は、6~12日に同国の周辺海域29カ所で海上射撃訓練を行う。
激変する国際情勢の前に菅政権は戸惑いをみせている。”国民の生活が第一”のスローガンしか唱えず、内向けの政治志向から脱しえない民主党政権には、この事態に処する断固たる指針が見いだせないでいる。
日本は日米韓三国と結束して、国難ともいうべき極東アジアの危機を打開する決意が必要である。結束と打開に必要な理念は自由主義陣営の一員という自覚である。
戦後の宰相の中で、この理念に立ったのは大平正芳元首相であった。大平氏は蔵相時代に米フォード政権の国務庁長官になっていたキッシンジャーに招かれてホワイトハウスの昼食会に出ている。1974年10月5日のことであった。
そこでキッシンジャーは、その年の2月、ワシントンで開かれた石油消費国会議で大平氏が産油国も加わる委員会設置を提案したことを話題にした。
「各国は言いたいことを言った。あなたは最初、寝ているようにみえたが、肝心な時に英語で、簡潔で見事な妥協案を提案した」とキッシンジャーは大平氏に語りかけ「あなたはいつか首相になる。なにしろ、私が推薦人だから・・・」と断言している。(豊田祐基子「”共犯”の同盟史」岩波書店)
私は1960年、池田内閣で初の官房長官として登場した大平氏をみている。本郷にあった大平邸にも夜回りをしたが、低姿勢内閣の振付け師といわれた大平氏は寡黙な人であった。ただ、大平氏に触れている中に強烈な自由主義陣営の一員となり、日米同盟を大切にするという政治姿勢にこれまでにない保守政治家というイメージを植え付けられた。
日米安保条約を改定した岸信介氏は日米対等関係を目指したが、同盟関係には踏み込んでいない。岸の申し子である福田赳夫氏は「全方位外交」の論者であった。
キッシンジャーの予言通り大平氏は首相となったが、訪米した首相に随行した加藤紘一氏は次の言葉を聞いている。「きみたちはアメリカにいろいろ文句を言いたいのだろう。アメリカという国はけなげにも自由主義のリーダーを努めている。もしアメリカがいなくなったら、どこかがそれをやらなければならない。それがどんなに大変なことか、みんな分かっていない・・・」
大平氏は日本の首相として初めて公式に米国を「同盟国」と呼んだ。ライシャワー駐日米大使は同盟が持つ軍事的なニュアンスを避けて「パートナーシップ」を提唱、大平・カーター会談に臨むカーター大統領は側近から「両国関係は微妙なので、アライ(ALLY)という言葉は軍事関係を含むので使わないように・・・」と釘をさされていた。
しかし大平氏はホワイトハウスで開かれた歓迎式典で「米国はかけがいのない友邦であり”同盟国”であります」と言い切っている。大平氏は歴代のどの首相よりも鮮明に「西側の一員」であることを打ち出した。
大平氏が敷いた同盟の路線は、中曽根・レーガン日米首脳会談で成就して、米国も日本を同盟国として重視し尊重するようになった。民主党政権の姿勢は大平外交から逆行し、むしろ福田外交の「全方位外交」に戻った観がある。米国は同盟関係の相手国に韓国を選んでいる。
それでは日米韓の一致した歩調はとれない。軍事大国として台頭している中国の前でウロウロして為すすべもないというのが現状であろう。「自由主義陣営の一員」という立場を放棄したのなら、総選挙で国民の意志を問うべきであろう。それをせずに政権の延命に奔走しているのなら、国民を裏切る「売国政権」と指弾されても仕方ない。韓国からも蔑視されるであろう。
杜父魚文庫
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