6801 三島由紀夫の死をみつめて 加瀬英明

三島由紀夫が自殺してから、40年になる。享年45歳だった。三島の死をどのように評価するか、ひとまず置いて、いったい、三島が今日45歳だったとしたら、自殺したものだろうか。
三島の死は、狂気に駆られた、卑劣なものだった。自衛隊総監の信頼と友情を裏切って縛りあげ、私的な目的を果すために、国軍を辱めた。
 
三島は才気に溢れた作家だっただけに、自分に耽溺して、自己中心だったのだろう。だが、それなりに思い詰めた行為だったにちがいない。
今から40年前の日本は、誰もが思い詰めて生きていた。人が純朴だったから、精神的に張りつめていた。日本中どこへいっても、そのような純朴さが空気のなかに、まるで微粒子のように飛びかっていた。
若い世代が人口の大半を、占めていた。若者の文化が、社会のリズムをつくっていた。高度成長期に当たったが、まだ貧しかったから社会が活気に満ちて、希望があった。
1970年には65歳以上が、人口の7.1%にしか当たらなかった。2009年では、日本の人口の22.7%が65歳以上になった。これは、世界のなかでもっとも高いものである。
貧しさは心の絆
貧しさは、人と人を結びつけた。自他に距離がなかったから、誰もが人間味があった。私は漢字のなかで貧という字を好んでいるが、貨幣として用いられた小さな貝を分かち合うものだ。この字には、情(なさけ)が宿っている。
東京も、村落共同体だった。人々はまだ「手鍋下げても」とか、「一本の煙(たば)草(こ)を分けてのむ」といった言葉を理解した。そして敬神の念が篤かった。横丁の塀に日本の原風景のように、鳥居の絵と「小便無用」という4文字がかかれていた。
「同じ釜(かま)の飯」といったが、炊飯に手を煩わした。米粒は聖なるものだった。今日では、電気炊飯器のボタンを押すか、コンビニでプラスチックの袋に投げ込まれた米飯を買ってくるようになった。
豊かさが人を弛緩させてしまった。人が自分だけの利益を、追求するようになった。何でも欲しいものが手に入るようになったのに、希望だけがなくなってしまった。
目的思考唯物社会の移行
純朴な者しか、希望をいだくことができない。若者すら、将来に夢を描くことができないのだ。人からも、社会からも、目的が失われた。
今年は、アメリカで〃ポップアート〃が始まって、50年になる。その代表選手のアンディ・ウォーホールは、アメリカのどの台所にもあるキャンベル社のベジタブル(野菜)スープの缶詰を、グラフィックアートのように描いて、時代の寵児となった。
ウォーホールは、「人は買うものに、似てくる」と、説いた。クラシズム(古典絵画)が尊ばれた時代には、人は理想像として、美と秩序を求めた。
この20年ほどのことだろうか。東京から、雑種犬がいなくなった。いま、リードと呼ぶ紐をつけて散歩している犬は、犬屋で売られ、血統書つきばかりだ。
連れている人も、純血種の犬と同じように、自分に高価な値札をつけたいのだろう。人までが商品となった。値がつくものだけに、価値があると思われている。
人情にも、雑犬がいだく主人への愛情にも、値がつかない。贋の満足感を追うから、人がひ弱になった。物的な幸福感は、テレビや、広告会社によってつくられた贋物でしかない。人生を享楽だと勘違いすると、真実から逸脱しているから、傷つきやすくなる。そのうえ、自分を抑えて、我慢することができないために、いつも焦ら立っている。
世界のなかで、雑犬を見ない都市は、他にない。東京では制服を着た軍人も、みかけることがない。戦慄させられる都市だ。
人々は隣人へ心を配ることがなく、親密感や、責任感を感じない。隣人が誰か知らない人々が、ほとんどとなっている。これでは、愛国心を持ちようがない。
大切なものは、目に見えないのだ。心を軽んじると、目に見えるものしか求めなくなる。
おぞましいことに、このような濁流のなかで、経済学がカネ次第のものになった。レストランに入ると、客単価がいくらとか、仕入れや、光熱費や、おしぼり代や、アルバイトの従業員の人件費や、家賃がいくらとか、客までが金銭だけによって計られる。
今日では、客はキャシュレジスターのなかの、数字にしかすぎない。血が通わない、無機的な存在になってしまった。客といってみても、店で働く人々と心が通うことがない。
志思考唯心主義が甦る源
かつて経済学は、石田梅岩や、二宮尊徳や、アダム・スミスが講じたように、倫理道徳学だった。アダム・スミスは『国富論』を大成する前に、『道徳感性論』を、著わしている。グラスゴー大学で、道徳哲学講座を担当していた。経済と道徳は、一体のものだった。
この40年のうちに、生活と道徳がいつのまにか分離された。道徳心を失った人間は周辺への思い遣りを忘れて、自分しか愛(いと)しまないから、獰猛になる。物的な豊かさが増してゆくなかで、人が独(ひと)りでは幸せになれないことを、忘れてしまった。
もう一度、真っ当さを取り戻すために、石田梅岩や、二宮尊徳を学びなおしたい。
次世代を担う子供づくり
子供も甘やかして育てて、規律も感謝の念も教えないために、放逸になっている。かつて島崎藤村が『夜明け前』のなかで、「子供はひもじく、寒く育てるもの」と説いたが、子供に暖衣飽食させてはなるまい。
石田梅岩は経済学者として、石田心学を興したが、「万事を子どもの思いのままにしてしまうと、やがてこどもは親の手に余るようになる」と戒めている。国民を甘やかすことに専念する政府は、国を滅ぼすことになる。
三島が死んだ翌年に、『男』という歌が流行った。演歌である。鶴田浩二が歌っていたが、そのなかにつぎのような語りがある。
「子供の頃、祖母によく言われました。『お前、大きくなったら、なんになる。なんになろうと構わないが、世間様に笑われないような良い道を見つけて、歩いておくれ』って……それが、胸に突き刺さるのでございます」
私はいまでも、この歌で酒席で聞くと、胸を強く揺さぶられる。演歌は日本人の魂を吐露したものだった。今日の若者の歌は、自分中心で精神性が欠けている。
世間は人が支える
人々にとっては、世間体が何よりも大事だった。世間体は、世間態(てい)とも書いた。
世間様に笑われないように、世間体は世間の人々に対する体面であり、見栄でもあった。40年前の日本人は、世間を大切にして、このような見栄を持っていた。
日本人にとって世間というと、人間関係が天と同じ存在だった。ユダヤ・キリスト教のように、絶対神を想定することなく、社会こそが天だった。
「世間様」という言葉が、死語となってしまった。ついこのあいだまでは、人間関係の絆(きずな)を何よりも大切にしたから、都会でも村落共同体の精神が人々を律していた。
倫理観・正義感・誇り・恥を知る
人間関係が、社会道徳を支えていた。もし、社会規範に背くことがあったら、「世間体が悪い」といって、一族ぐるみで恥じた。ところが、今では行いが損得によって、計られるようになった。
40年前の日本人は、実直で、律儀で、意志が強かった。頑固だった。人は弱者であることを、恥じたものだった。いまでは、強者が厭われている。
私は本誌の前号で、日本が「第四の国難に直面している」と書いたが、元冦、幕末、先の敗戦が、最初の3つの国難だった。
だが、今、日本人らしさを失おうとしている。開闢以来の最大の国難であろう。
杜父魚文庫

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