先週、大阪のホテルで政治講演をした折、会食の席の隣に関西財界の長老、清瀧一也さんが座っておられた。八十六歳、現職は池田泉州銀行相談役、自然総研理事長である。
自然総研が隔月刊で発行している二十数ページほどの冊子〈トイロカルチャー〉の内容がまことに多彩で魅力的だ。トイロ(TOYRO)は、十人十色やオモチャ(TOY)などをからませた清瀧さんの造語だそうで、〈人はそれぞれ違うもの〉という意味を込めているという。めくっていると浪速の息吹が伝わってくる。
この十二月で百十号を数えるから、すでに十八年余、清瀧さんが毎号綴る柔らかい人生訓の一文も、楽しみな読み物だ。一地方銀行のこんな息の長い文化活動はほかに知らない。
会食の席に話を戻すと、清瀧さんは私の顔を見るなり、カラフルな印刷物を手渡しながら、「来年は兎の年ですからなあ。跳ねてもらわんと」
とおっしゃった。印刷物は四ページ、表紙に〈2011年 辛卯の年〉とある。辛は十干の第八、金の弟、の意。卯は十二支の第四、兎だ。十干と十二支を組み合わせると六十組できる。いわゆる〈えと〉。六十年ごとに同じえとがめぐってくる。今年は〈庚寅〉だったが、虎のように勇猛果敢なイメージの一年ではなかった。
さて、二ページ目をみると、〈辛卯〉について、次のような清瀧さんの自己流解説が載っていた。〈辛は、鋭い刃物、ピリッと辛い。辛抱して古きを捨て、新しきを開く。
卯は、扉を開くと草ぼうぼう、問題山積み。春 万物大地を押し開いて出る。新年は、扉を開いて中を見れば、草ぼうぼう、新旧、問題山積、辛抱強く、解析し、古きを捨て、新しきを望みたい。
むろん、《兎の昼寝》は困りもの、《兎の逆立ち》、耳の痛い話もよく聞き、十人十色、独自の《得て足》を活かして、「〈兎の上り坂〉に進むべき年」と卜したい〉
少々説明がいるかもしれない。〈卜す〉は占いをすること。兎については四ページ目に、〈兎のことわざ あれこれ〉がご丁寧に記されている。〈兎の逆立ち〉は、長い耳が地面に当たって痛い、耳が痛いこと。〈兎の上り坂〉は、兎は前足が短く、後ろ足が長いので、下り坂は苦手だが上り坂は得意で早い、得意分野で実力発揮、とある。
◇先人の言葉に耳を傾け〈まず乗る〉前向き発想を
まもなく新年がやってくるが、日本と日本人は上り坂に足をかけることができるのか。清瀧さんは、
「日本人はね、なかなか坂に乗ろうとしないんですよ。すぐに問題点を探してきて、悩んだり迷ったりする。まず乗ることが大切なんです。日露平和条約だってまだ結ばれていないでしょ。(北方領土とか)いろいろ言う前にまず結ぶ。そこから始まるんです。
政治家の仕事は、国民をとにかく上り坂に乗せるようにすること、そして、政治家をそう仕向けるのがあなた方マスコミなんだな」と明快である。
「どこもかしこも人材難で、坂に乗せるような舞台回しをする人がいない」と私が言うと、清瀧さんは、
「何を言ってるんです。そんなことはありませんよっ!」と大正人の叱咤が返ってきた。
二〇一〇年を振り返ってみる。上り坂どころか、下り坂をすべり落ちていくような後味の悪さが残った。いい話がなかった。経済も政治も、とりわけ対中、対米、対露の外交がぎこちなく、日本の国際的地位が大幅ダウンした印象なのだ。
また、哲学者の梅原猛さんは清瀧さんより一歳若いが、刊行されたばかりの中曽根康弘元首相との対談集『リーダーの力量─日本を再び、存在感のある国にするために』(PHP研究所)のなかで、
「私は日本の将来が非常に心配です。日本が亡国の道を進んでいるのではないかという気がして仕方ないのです。
私が旧制高校に入ったのは一九四三(昭和十八)年で、日本の敗戦はすでに確実でした。そういう事態にもかかわらず、東條英機や小磯国昭などの総理大臣が出てきて、『必勝の信念があれば勝てる』と叫んでいました。
結局、戦争が一日でも早く終われば何万という人々が助かったにもかかわらず、降伏が遅れて約百万人の日本人が死んでしまった。『こういう時代に、総理大臣はいったい何をしているのか。あまりにも愚かすぎるのではないか』と私は思っていました。そういう気持ちが最近また、心の底から湧き上がってきています。最近の首相を見ますと、こういう人たちで日本は大丈夫なのかと……」
と亡国の縁に立つ恐れを語っていた。下り坂を駆け下りそうな日本の現状を憂える梅原さんと、腹を括って上り坂に乗り換えるしかないじゃないかと訴える清瀧さんは、同じことを言っているのだろう。戦争をくぐり抜けた大正世代の危機意識である。
昭和世代の政治家もマスコミ人も、〈兎の逆立ち〉の構えで、先輩の切なる言葉に耳を傾け、アクションを起こさなければならない。意識の切り替えが肝心だ。相互批判だけにエネルギーを注ぐのでなく、清瀧さんの言う〈まず乗る〉という前向き発想は教訓的と思われる。
さて、〈辛卯〉の年には何が起きていたか。清瀧さんのペーパー三ページにある。
▽百二十年前の一八九一(明治二十四)年─。板垣退助、立憲自由党を起こす。東京手形変換所設立、ロシアのニコライ皇太子に切りつけた大津事件、シベリア鉄道起工など。
▽六十年前の一九五一(昭和二十六)年─。第一回NHK紅白歌合戦、三原山大噴火、トルーマン米大統領、マッカーサーGHQ司令官を解任、日本航空発足、対日講和条約・日米安全保障条約調印、朝鮮戦争休戦交渉、「羅生門」グランプリ受賞など。
来年、いろいろありそう。(サンデー毎日)
杜父魚文庫
6836 来年は「兎の年」、跳ねるしかない 岩見隆夫

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