6843 あやうく中学生に仕分けられそうだった蓮舫氏 阿比留瑠比

ご無沙汰しております。臨時国会の閉会と同時にスタートした連載「仙谷由人研究」を執筆したり、ひどい寝違えによる激痛で夜中に飛び起きたり、ついでに風邪気味になったり…で日々の仕事をなんとかこなすのが精一杯で、ブログからしばらく遠ざかっていました。
その間、いよいよ八方塞がりの菅政権は来年の通常国会に向けた「数合わせ」に迷走し、福田康夫元首相、与謝野馨元財務相に続き、森喜朗元首相だの舛添要一元厚労相だの、いわゆるひとつの「ナベツネ」さんだの往年の名プレーヤーまで登場してはしゃぎ出し、強制起訴される民主党の小沢一郎元代表はいよいよ新党に言及し始める始末であります。懐かしい、しかし、あまり見たくない顔ぶれですね。
国民の一人としてはドッチラケなのですが、政治部記者としては一応、その、職務上、関心と興味を持ってウオッチし、取材しなければなりません。国民不在の「大連立」などという亡霊が年末年始に永田町をにぎわし、私の貴重な正月休みをぶち壊しにしないことを、心から祈っています。
さて、そんな政局の季節にあって、むしろ注意を引かれたのは、今朝の産経政治面に小さく載っていた「授業『仕分け』蓮舫氏苦戦も」という記事でした。蓮舫行政刷新担当相が昨日、東京都杉並区立和田中学校の生徒による「事業仕分け」に参加し、あやうく「子ども手当」を廃止と仕分けられそうになったというエピソードです。
ただ、記事ではスペースの関係で中学生たちがどんな風に蓮舫氏を追及したのかは省かれていてよく分かりません。そこで、現場取材した坂本一之記者のメモから、中学生の主張を紹介します。内容の是非はともかく、こういう鋭く具体的な指摘を受けた蓮舫氏がタジタジになった姿が目に浮かびます。
生徒A 子ども手当の廃止を希望する。現在の所得で十分生活ができる家庭に月額1万3000円は必要なのか?3歳未満の増額についても廃止を希望する。3歳くらいの児童は生活する上であまり負担がなく、増額が必要はない。所得の基準を設けて下回った場合に支給し、保育園や児童養護施設の補助金に回すことを提案する。
生徒B 国債が多く資金のやり繰りが大変だ。子供が2人以上の場合に支給し、人数によって額を変えればいい。子ども手当の目的は社会全体で子供を育てることだと聞いたが、私たち子供にはその実感はありません。お小遣いが増えたり、買いたいものが買えたり目に見える実感がない。親と離れている子供は親に支給がいくケースが多く、子供のためになっていない。
生徒C やってみたら財源がなく、所得制限を設けようとして高所得者の扶養控除の廃止を考えるなど、子ども手当の目的である子供をみんなで育てる、子供は一律に手当がもらえるというものが変わってきた。手当の内容も変わってきた。3歳未満に7000円上積みしようとしたりお金がないから5000円にしようと言ったり訳が分からなくなっています。扶養控除などを辞めれば手取りが減るので生活費の穴埋めにしかならない。
生徒D 7000円の議論より保育園の議論の方が先だと思う。
生徒E 子ども手当は単なるバラマキとであるという気がしてならない。私自身の調査不足や過剰な報道を鵜呑みにしてしまったからであるならご指摘いただきたいのだが、子ども手当は税金の一部を返却しているのに過ぎない。これに何の意味があるのでしょうか。銀行に預けた方が利子分、特のような気さえする。これはマニフェストで子ども手当をすると言ってしまったのでやるかというように、よく練られないまま、子ども手当という名前だけが独り歩きし、結局の中身のない制度になってしまったのではないか。
その証拠に、もらえる金額や基準がころころ変わる。そんなことに使う予算が日本にあるとは思えない。その点で子ども手当を仕分けするなら廃止すべきだと考えている。そのお金は子供を安全に産める環境を整えるとか、保育施設の増設や整備、教育の不平等をなくすことに使うべきだ。本当に子供のためと言うなら、現金を給付するのではなくて、政府としてしかできない制度政策を実行してほしい。
…うーん、説得力があります。これに対し、蓮舫氏はかなり必死になって生徒たちを説得し、結局、仕分けの判定結果は当初の「廃止」から「継続」へと変わり、面目を保ったそうですが…。
個人的な持論を言えば、人間の頭(趣味嗜好や美意識も含め)はだいたい14歳ぐらいで大部分は固まり、後は処世術と社会性を身につけるだけだと思っているので、中学生が大人顔負けの正論を展開することには何の不思議もないと考えます。ただ、自分の中学生時代を振り返ると、社会保障制度なんてこれっぽっちも考えていませんでしたから、やっぱり立派なのか時代性なのか。
翻って、(滅多に見ませんが)テレビの報道番組やワイドショーでよくやっている街頭インタビューで、子ども手当について意見を述べる人たちの何と浅薄で自分勝手なことか。わざとそういう薄っぺらな感情論を述べる人を「分かりやすい」として放映時には使うのかもしれませんが、あるいは大人は日々の生活に疲れて退化していくのかなあ、とも感じました。その両方かも。
今年もあと3週間となりました。さあ、あと一踏ん張りだ。笑っても泣いても…。
杜父魚文庫

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