本日、沖縄県を訪問した菅直人首相は仲井真弘多知事との会談で、米軍基地が沖縄に集中している現状について、「私も皆さんからみるとヤマトンチューの1人ですが、日本人として大変申し訳なく、政治家としても慚愧に堪えない」
と述べたようです。実は仙谷由人官房長官も13日の記者会見で「日本人として、もう少し言えば、ヤマトンチューとして、しわ寄せを(沖縄に)ずっと押し付けてきた格好になっている」
と語っています。私はこういう言い方にものすごく違和感を覚えるのです。例えば、「同じ日本人として」と言うのであれば、理解できるのですが、二人の言い方は、むしろ、沖縄を別に切り分けているように聞こえるからです。
菅首相と仙谷氏の物言いを聞いて、思い出すのは確か平成9年5月に、沖縄に出張に行った際のことです。泊まった安ホテルの食堂で沖縄タイムスだったか琉球新報だったか、何気なく地元紙の投書欄を読んでいて、思わずうめかされました。
ちょうど施政権返還25周年の特集が組んであって、米国統治下の思い出がいろいろと記されていたのですが、その中で、ある屈辱の記憶が語られていました。あくまで私が記憶している範囲なので、文言は必ずしも正確ではないかもしれませんが、概略、以下の通りだったはずです。
それは、沖縄県民が本土から沖縄入りした社会党の訪問団を歓迎したところ、ある社会党議員から「日本語がお上手ですね」と言われ、「この人たちは、私たちを日本人だと思っていないのか」と愕然とし、悲しくなったというエピソードでした。
私はそれを読んで怒りと恥ずかしさで顔が上気したのを覚えています。紛れもない同胞を、それも、歴史的経緯に苦しみ、あるいは差別すら受けてきた同胞を、ニコニコ顔で突き落とすようなことをする社会党議員と、そうした議員をつくった戦後日本社会に、私自身、どうしていいのか居ても立ってもいられない嫌な気分にさせられました。
今回の菅首相と仙谷氏の言葉を、この私の記憶と結びつけるのはもしかしたら違うのかもしれませんし、また、違っていてほしいと心から願います。
ただ、私の濁った頭と千々に乱れ混戦したシナプスが、愚かで誤った連想をしただけならばいいと思います。ただ、一抹の不安を覚えたので、ここに記してみました。これ以上、書き連ねるのも辛いのでここで止めます。
杜父魚文庫
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