6933 菅首相の「場当たり主義」は通用するのか 花岡信昭

*「小沢問題」で指導力を発揮できない菅首相
「小沢問題」はおかしな雰囲気になってきた。菅首相が小沢一郎氏と会談して国会の政治倫理審査会に出るよう求め、小沢氏はにべもなく拒否した。
時の首相が与党の元党首に直接会って要請したにもかかわらず、これがまったく通らないというのは、いったいどう見ればいいのか。
それも1時間半に及ぶ会談だ。「国会に出てほしい」「出ることで野党から何か引き出せるのか」といったやり取りに終始したらしい。
長い間、政治の世界を見てきたが、首相の要望に従わない場合、閣僚なら更迭となるところだ。小沢氏は「一兵卒」だから、離党勧告が次の段階で首相が取るべき道だろうが、どうもそういう展開にはなりそうにない。
この菅首相と小沢氏の会談が行われた20日、朝鮮半島では韓国軍が黄海の延坪島で射撃訓練を実施、南北間の緊張が再び高まっていた。東アジアの緊迫した国際政治をよそに、日本では小沢氏の国会招致をめぐるなんとも矮小(わいしょう)化された話がトップニュースとなる。
日本政治がいかに「タコツボ型小政治」に堕しているか、如実に証明する事態といえた。
*小沢氏の国会招致実現のシナリオは何もない
民主党は27日の役員会で今後の対応を決めるという。政治倫理審査会への出席を小沢氏が拒んだことから、今度は証人喚問を突き付ける可能性もあるのだという。
同じ政党で、それも党代表まで務めた実力者に対して証人喚問の実現を目指すなどという話は聞いたことがない。
政治倫理審査会は出席するもしないも法的拘束力がない。それに対して、議院証言法による証人喚問だと、出席を拒否したり嘘の答弁をしたりすると刑事罰が科せられる。
野党が攻めまくって小沢氏を国会に引きずり出そうとするのなら、まだ理解できる。自民党は「アリバイ工作に加担することなどできない」(石原伸晃幹事長)と政治倫理審査会で出席を求める議決を行おうとしても、これに加わらない方針だ。
民主党内部だけのなんとも奇妙な争いとなっている。それもどこに落とし所を設定しているのか、いっこうに定かではないのが不思議なところだ。
小沢氏を本当に政治倫理審査会に出席させようというのであれば、出席しやすいような「大義名分」をつくらないといけない。それが政治現場の常識だ。
小沢氏がしきりに「オレが出ることでどういう得になるのか」といった趣旨のことを漏らしているとされるのは、そのためだ。
つまりは、菅首相にとって民主党としての自浄能力を示すために小沢氏の国会招致を持ち出したにすぎない。本当に実現させるための周到なシナリオなど何も用意されていない。
*なぜ、今「小沢問題」にしゃかりきになるのか
こういうのを「場当たり主義」という。諫早湾干拓事業をめぐる裁判で開門を命じる判決を支持したのも同様だ。農林水産省や地元との調整などまったくできていない段階であるにもかかわらず、上告断念をいとも簡単に決めてしまった。これが政治主導というのであれば、あまりに浅薄である。
やることなすこと、カイワレを食べたときのパフォーマンスの域を出ていない。沖縄を訪問して知事と会っても、新たな展開など何も得られなかった。
「小沢問題」への対応も同じ体質のあらわれとしか言いようがない。小沢氏の政治資金をめぐる「疑惑」は、いま突然降ってわいたのではないのだ。それをなぜこの時期に、しゃかりきになるのか。
野党側は臨時国会閉幕で小沢氏に対する追及は通常国会へ先送りするハラだった。それを民主党内で政治問題として尖鋭化させてくれるというのでは、せせら笑いながらお手並み拝見ということになる。
菅首相や仙谷官房長官にとっては、「小沢問題」に本気で取り組んでいるという姿を国民に見せることで支持率低落を食い止めたいという思惑があるのであろう。だが、支持率の低下は小沢氏の問題だけではないことを改めて認識すべきだ。
27日の役員会まで結論を先送りしたのも、ウラがあるようでいてよく分からない。小沢氏を追い込みすぎると、離党―新党結成という事態につながることを恐れ、年末ぎりぎりまで引き延ばせば、新党結成の道を閉ざすことができるという判断か。
政党交付金は1月1日現在で算定されるから、新党結成が年内か年明けかで大変な違いが出る。そのことを計算しての対応なのかどうか。
*小沢氏の政治的影響力を無視すべきではない
鳴り物入りで会談を設定した結果、菅首相の要請を小沢氏がなんなく蹴飛ばしたという構図は、菅首相の「弱体ぶり」を天下に改めてさらす結果になった。困っているのは小沢氏よりもむしろ菅首相の側だ。
そういうことも承知の上で会談を設定したのかどうか。ここにも「場当たり主義」のあやうさが透けて見える。 小沢氏が政治資金問題をめぐって完全に「シロ」だというつもりはない。クロだろうが灰色だろうが、犯罪行為が証拠によって立証されるのであれば、検察当局が所定の手続きで粛々と進めればいいだけの話だ。
だが、検察当局はこれだけ長期にわたって捜査を進めてきて、小沢氏本人を立件できなかったのである。周辺の秘書が何人か起訴されたが、そのことで小沢氏に政治的道義的責任が発生することは確かだ。
しかしながら、党の代表選挙で菅首相とほぼ拮抗する200人の国会議員が小沢氏に票を投じたことは何を意味するか。民主党の半分は小沢氏の「疑惑」よりもその政治力を重要視しているということにほかならない。
最終的には国会議員の身分に関し生殺与奪の権を握るのは有権者である。多くのメディアは小沢氏の強制起訴が確定した時点で議員辞職を求めたが、有権者よりも強大な力がメディアにあるというのはメディア側の思い上がりである。
そのことはこのコラムでも何回か触れてきたが、政治メディアのあり方として真摯な議論が必要だ。以前にも書いたが「新聞は紙ではあるが神ではない」のである。
議会制民主主義において、有権者は選挙を通じて議員を選び、国政を負託する。この最も肝心な軸を守りきらなければ、民主主義は崩壊する。
そのことにメディアは気付くべきである。有権者に判断材料を提供するのはいい。そこから先の政治家の政治生命にかかわる部分に立ち入るときは、もっと冷静周到な配慮が必要だ。
*先が読めない小沢氏の次の一手
そこで、「小沢問題」は今後、どう推移するのか。小沢氏が手勢を引き連れて離党し「小沢新党」を結成するという観測も根強い。そうなるかもしれないが、たとえ20-30人規模であっても、そうした事態になれば、菅首相がねらっていた衆院の与党3分の2確保はおぼつかなくなる。
社民党6議席を加えるとかろうじてこの3分の2ラインに達するから、社民党の連立復帰を画策しようという動きがあったのはつい最近のことだ。その場合、普天間移設も武器輸出3原則の緩和も吹き飛ぶ。
小沢氏をこの段階で追い詰めて「小沢新党」結成の可能性をふくらませていくことが、菅首相にとって得策なのかどうか。そこもまた、なんとも理解しがたいところだ。「場当たり主義」がここにもあらわれている。
小沢氏にとっては、民主党内で一定の支持勢力を維持し続けるのが「復活」に向けての近道と踏んでいるのであろう。場合によっては、「単独離党」によって、無所属の立場で「民主党小沢派」を遠隔操縦するという展開もあり得る。
菅首相にとっては、そういう事態のほうが厄介であるはずだ。内閣発足時の「脱小沢」程度にとどめておけばここまでの事態には至らなかったと思われるのだが、そのあたりの政治的判断は政治ウオッチャーの目からすると不可解きわまりない。
強制起訴によって刑事被告人の立場になったとき、本当に小沢氏の政治行動は完璧に制約されるのか。そこがなんとも不透明だ。東京地検があれほど捜査しても立件できず、「素人による」検察審査会の判断によって強制起訴されるというのは、だれもが経験していないことだ。
弁護士が検事役になって、東京地検以上の能力を発揮できるとは、とてもではないが思えない。結論的にいえば、小沢氏の無罪は確定的だろう。そうした見通しのもとで、小沢氏の政治的立場はどういうものになるのか。
「菅―仙谷ライン」はどうやら「小沢問題」の扱いを間違えたのではないか。少なくともこれまでの対応によって、支持率が反転上昇するとは思えない。
杜父魚文庫

コメント

  1. yosi より:

    元市民運動家、元学生運動家、元労組、元若手官僚、松下政経塾出身。
    これが現政権の中心的担い手である。私はこの政権発足直後から、彼等の出自から政治家としての実務能力には大きな危惧を感じていた。その理由は
    ①元市民運動家・元学生運動家:彼等は政治家になる前は、一般社会で働き自らの手で日々の糧を得たという経験がない。多くは講演やカンパにより生活してきたのである。従ってそのビジネスの基本は大衆の気を引くことが第一である。
    ②元労組:彼等のビジネスは雇用者からできるだけ多くの分け前をぶんどり自分が渡す対価は最小とすることである。それ以上でもなく、それ以下でもない。
    ③元若手官僚:彼等の官僚としての経歴は高々10年内外のものである。一般社会でも10年くらいの経験でprofessionalとなれる業種はない。それなのにマスコミは彼等をprofessional扱いしている。恐らく彼等は自分たちが官僚と同じくらい実務能力があるなどとは思ってはいまい。あるのは「元エリート官僚」という看板だけである。
    ④松下政経塾出身(政界共通):彼等の行動パタンの基本は給料を貰いながら松下政経塾で得た知識であろう。基本はpower gameと大衆迎合である。そこでは大衆はたかだかagitationとmanipulationの対象でしかなく、大衆の望みは水道の蛇口をひねれば水道水のように欲しいだけ電気製品が出てくる。そんな程度のものであるという、大衆蔑視とあきんどの認識である。松下電器は昔大型computerを開発していた時期があったが撤退した。撤退の弁は金を食う割には技術的将来性がない、であった。これも技術家というよりあきんどの判断であったのだろう。
    こうしてみると実力無きが故の「場当たり主義」は菅氏のみならず民主党政権そのものなのではないだろうか。しかし、この政権、内閣は国民が投票で選んだものなのである。やはり「愚かさ」は高いものにつく。請求書は愚民に回されるのである。

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