あと23時間で2010年が終わる。激動の2010年と言うよりは、情けない一年が終わるという思いの方が強い。戦後政治史で悪い歴史を残した一年と言っていい。
それはともかく、午前一時に起きて書斎に籠もる癖が抜けない。いつもならハダシでスリッパをつっかけ、ストーブも焚かずに二、三時間は過ごすのだが、今日はどうもいけない。机が冷たくてハダシの足が凍える。仕方がないので毛糸の靴下を引っ張りだして履いている。耳まで隠れるスキー帽まで被ってPCを叩く始末だ。
ふっと母のことを想い出した。信州生まれの母は寒さに強かった。一月生まれだったから、よけい寒さに慣れっこだったのだろう。62歳で脳血栓を患い、72歳で亡くなるまで半身不随で病床にあったのだが、気力で小説「幻の碧き湖」を書き続けた。
それが、いつの間にか、靴下を履いて寝るようになった。そんな母ではない。士族の生まれを誇りにしていた母から「男は冬でも靴下を履いてはいけない」と厳しく躾けられ、自分でもよほどの寒さでなければ、足袋を履かないでいた。
その母が靴下を履いて病床にある姿をみて、息子ながら哀れさを感じた。その私が23時間後には数えで80歳になろうかという大晦日の午前一時に毛糸の靴下を引っ張り出すのだから、やはり老いたのだな、と妙な感慨にひたっている。つまらぬことかもしれない。しかし大晦日に父のことを想い出さずに、母のことを想い出すのは不思議な気がする。
植村花菜さんの「トイレの神様」を聴いている。一〇分間の長い曲だが、祖母と孫娘の思いを綴るよい歌である。しっとりとした情感が漂う。聴いた人は、思わず涙を流すという。こういう曲は少なくなった。NHKの紅白歌合戦を観なくなって久しいが、ことしは「トイレの神様」だけでも観ようと思っている。
元日には次女夫婦がやってくる。二日には長女夫婦が高校一年生の孫を連れて泊まりがけでやってくるから、久しぶりに賑やかなお正月となる。婿ドンと酒を酌み交わすのも楽しい。四本の日本酒と一本の麦焼酎、ビールを一ダース買い込んだ。
晩酌をやらなくなって久しい。相手がいないと酒がうまくない。とはいうものの、三合も飲むと眠たくなる。現役の政治記者の頃は、一升酒を飲んでも乱れることを知らなかった。酒に強いのは母方の祖父の遺伝なのであろう。祖父は、その酒ゆえに上田小町といわれた祖母と離縁になっている。来年は一升ビンを下げて、信州の上山田にある菩提寺の墓参りをするつもりでいる。
「トイレの神様」ではないが、人は一人で生きているのではない。自分と血がつなっがている人たちを大切に思う心だけは失ってはいけない。正月に来る孫にその思いを、どう伝えたらいいか、お説教ではない伝え方を今から考えているのだが・・・、酔っぱらって忘れてしまうのかも知れない。
杜父魚文庫
6969 「トイレの神様」を聴いている 古沢襄

コメント
年末に母を思い出す話を読んでて、古沢さんのお父さんを思い出した。家へ遊びに行くと、和服を着ていて、腕組みをして、畳に座っていた。お父さんの過去も、現在も未来もしらなかったけれど、僕の父も和服でいたので、親しみを持っていた。古沢さんのお母さんは、小学校の同じクラスだったので、僕の母とよく話をしてたのを覚えている。
あれから70年、子供や孫の話をしなければ、古沢さんと僕は、来年も小学生でいられる。来年も楽しい年にしましょう。
酒なしの大晦日。愛犬バロンが「寝る」と騒ぐので、二階の書斎に連れてきたとろです。私の足元で股を広げて、仰う向けになってイビキをかいています。
平和ですね。この平穏さがいつまでも続くように祈っています。大橋さんも私も戦争の中で小学校生活を送りましたから・・・。
それにしても菅首相は情けない。まだ前原外相の方がいいように思えるのですが、大橋さんはどう思いますか。
AERAを読みましたか。昔のAERAとは様変わり。前原とのインタビューが面白い。古沢襄。
その立場に立つと、ガラッと変わるひとばかりに思えてなりません。今の政治家は私心の塊のように思えます。
だから、ミスタ―年金大臣は極端だったかもしれませんが、みな50歩100歩なのではないでしょうか。
最低信念を持っている人は誰なのか?そうゆうひとは政権の中に入れないのでしょう。
しかし、国会解散で選挙となれば、展望が見えてくるかも、と、期待はします。
明けましておめでとうございます。
戦争や病で全ての祖父母を早くに亡くしている私にとって、古澤様の文庫を拝読させていただくのは、祖父母世代からの贈り物のようだと、いつも感謝しています。
温故知新を感じさせ新しい視点を拓いてくださる古澤文庫の発展と古澤様のご健康を心よりお祈り申し上げます。