6992 続・小村寿太郎を僭称する柳腰官房長官 阿比留瑠比

本日は、沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件の映像流出を「倒閣運動」だと勘違いして慌てた政府が設置した「第1回秘密保全のための法制のあり方に関する有識者会議」が開かれました。「自由と民主主義の敵」とでも形容したくなるような、愚民思想と隠蔽?情報統制体質が受肉化して現代に降臨したかのような仙谷由人官房長官が次のようにあいさつしました。
「情報保全の徹底については、従来から政府をあげて取り組んでいるが、尖閣漁船衝突事件のビデオ映像の流出事案が発生するなど、政府の保有する情報がネットワーク上に流出し、極めて短期間に世界規模で広がる事案が発生した。
過去においても、外国情報機関による情報収集活動による情報の漏洩事案も発生しており、事態は極めて深刻であると認識している。こうした状況を踏まえて、政府における情報保全の検討委員会を設置し、機密保全のありかたに関する法制について議論を開始したところでございます。
この有識者会議は検討委員会の検討に資するため、秘密保全法制のあり方に関して、専門的な知見をお持ちの皆様からご意見をいただくために開催するもの。秘密保全に関する法制は、厳しすぎると知る権利や取材の自由との関係で大きな問題が生じる。緩すぎると、これはこれで情報漏洩により国家国民の利益が失われるということになりかねない、非常にデリケートな問題でもございます。
しかしながら、情報漏洩に関する脅威が具体的にも高まっており、この問題から目をそむけることはもはや許されない。政府としましては、国民の理解をきちんと得ながら、真摯に法制の検討を進めてまいりたいと考えているところでございますので、わが国にふさわしい機密保全のありかたについて慎重かつ、積極的な議論をいただけますようによろしくお願いをいたします」
…あいさつ通り、国民の知る権利は決して侵さず、国民の理解をきちんとえられる形で答申がまとまるのであれば、別に異議をはさむものではありません。ただ、この政権はとにかく都合の悪いことは隠して、かつ、隠しおおせると国民をバカにしきり、一方で自分たちの宣伝だけはマスメディアに強いるという悪い「癖」を持っているので、注意深く議論の推移を見守っていこうと思います。
会議の議事録は今後、議事要旨が公開されることになるようです。ここでも、都合の悪い部分はカットされるおそれがありますが…。民主党政権は、一方では公務員らからの予算の無駄遣いなどの内部告発を積極的に奨励し、それ専用の受付窓口「国民の声」をつくりながら、一方では情報統制に努めるという矛盾したような姿勢をとっていますね。
さて、ここで話はちょっと飛ぶようでつながっているのですが、私は昨年10月13日のエントリ「小村寿太郎を僭称する柳腰官房長官」(http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1842325/)で、仙谷氏が自らを日露戦争後に苦労してポーツマス講和条約になぞらえていることを書きました。仙谷氏は、自分の立場を小村寿太郎のそれに例えて、愚民どもが激昂して暴動を起こそうとも私は揺らがないんだと言いたげだったという記者会見でのエピソードの紹介でした。
その後も仙谷氏は、国会答弁でも同じく小村寿太郎の事例を引用して、中国様に配慮して中国人船長を釈放し、国民の知る権利をないがしろにして衝突映像を非公開としたのは正しいのだ、後世きっと評価されるのだと繰り返していました。この増長漫と自惚れ、主権者たる国民をどこまでもバカにする発想はどこからくるのかと不思議ですが、まあそういう人なのだと理解するしかありません。
で、本日、会社に立ち寄り、寄贈されていた「祖国と青年」という雑誌(1月号)をパラパラとめくっていたところ、京都大の中西輝政教授が小村寿太郎の次のようなエピソードを語っているのが目にとまりました。とても興味深く、仙谷氏のありようとは対照的に思えたので「外交機密を流出させた小村寿太郎」という小見出しがついている部分を少し引用します。
《(前略)当時の日本政府は、条約改正問題で日本における欧米諸国の治外法権を撤廃させなければならないという課題を抱えていました。そして欧米諸国との交渉の結果、「日本人の裁判官に委ねることはできないが、外国人の裁判官を雇うのだったら認めてもいい」ということになりました。
しかし、外国人に司法を委ねるということですから、これは一種の売国的譲歩です。このことが国民に明らかになれば、この条約改正案は確実に潰れます。だから、外務省はこれを秘密にしました。外国に妥協しようとする時は、政府はいつも情報を秘密にします。
小村寿太郎は当時外務省の翻訳局長で、実質的には権限のない立場でしたが、その書類を見て「これは日本国民に知らせなければならない」と、外交機密をわざと外に流しました。
それを新聞が書き立て、時の大隈外務大臣は、爆弾を投げられて文字通り失脚しました(大隈は右足を失った)。明治の人は、「主権の危機」に敏感でした。いったん外国勢力を入れたら日本はおしまいだ、という危機意識を強く持っていたのです》
…決して爆弾テロを推奨するわけではありませんし、また外交機密をすべて否定するものでもありませんが、少なくとも言えるのは、小村寿太郎は仙谷氏が僭称していいような小さな器の人間ではないということです。国民の目と耳を塞ごうなんてしていない。
仙谷氏をはじめ、菅政権の枢要なポストにいる人たちは、一様に「羞恥心」というものを知らないように見え、それがときどき耐え難く不快になるのでした。
杜父魚文庫

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