今年も言葉にこだわりたい。言葉でしくじる政治家が多すぎるのにひきかえ、ヒットが少ないのが気になる。「『平成の開国』元年にしたい」と菅直人首相は年頭所感で述べた。菅政治、仕切り直しのキーワードなのだろう。
いま、開国、と言われて何を思うか、何人かに尋ねた。ピンとこない。なんとなくわかる。幕末維新の気概で、ということじゃないの。反応はさまざまで、語感として明快、鮮烈ではない。
<第3の開国>論は言い古された言葉である。菅があえて2011年を<元年>と位置づけたのは、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉への参加を強く意識してのことだ。
昨年から急浮上したTPPは、農業問題に目を奪われがちだが、経済面だけでなく、アジア太平洋時代への幕開けを確実にする安全保障上の戦略的意味合いが大きい。<開国元年>は必ずしも誇大表現ではない。
だが、第1の明治維新は鎖国の分厚い壁に風穴を開け、第2の敗戦は占領軍によって軍国日本が打ち砕かれ、いずれも多くの血を流した。
「それに続く第3の……」と菅に突然言われても、閉じた国の意識はなく、<開国>という言葉による覚醒効果は小さい。
話を変える--。暮れも押し詰まってから、山口市の湯田温泉、老舗旅館の<M屋>に1泊した。
何はおいても、<維新の湯>につかる。幕末、高杉晋作、木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通、坂本龍馬、伊藤博文、大村益次郎、山県有朋、井上馨ら勤皇の志士が、しばしばこの宿で密会、謀議し、入浴したという。1860(万延元)年に建造された石造りの堅固な浴槽だ。
<M屋>の玄関横にあったカエデの大樹の幹には、高杉が<盡国家之秋在焉>(国家に尽くすの時なり)と刻んだ文字が後年発見され、保存されている。維新後の立役者である伊藤は、初代首相に就任(1885・明治18年)してからもたびたび<M屋>を訪れた。玄関を入ると、伊藤が墨書した大額が目に入る。
<履信居仁 己亥六月二日 博文>とある。1899(明治32)年の揮毫(きごう)、旅館業の心得として、信・仁の大切さをしたためたものだ。百四十数年前の大業の名残が、一軒の宿に色濃く漂っている。歴史の重みなのだろう。
さて、伊藤から菅まで、戦前29人、戦後32人、計61人の首相が維新後の国家経営に携わってきた。菅は<第2の開国>の1年後に山口・宇部で生まれ、伊藤も含め9人目の長州出身首相だ。就任時、高杉にあやかって、<奇兵隊内閣>を称した。
明治維新以来の波瀾(はらん)万丈の流れのなかで、菅が平成のいまをどう捉え、<開国>に言及したかが、一つのカギだ。「幕末維新に学ぶ現代」(中央公論新社刊)の著者、山内昌之東大教授は、
「菅さんと鳩山さん(由紀夫・前首相)の一番の共通点は、歴史を理解するセンスがないことだ。歴史的思考法の訓練を受けた痕跡はどうも感じられない。理科の人(理工系の大学卒)ということもあるのだろうが。
菅さんに安易に<奇兵隊内閣>なんて言ってもらうと、おかしい。高杉晋作を尊敬していると言うが、その感覚が政治的発言のなかに感じられない」(アジア調査会の「アジア時報」インタビュー)と語っている。
開国論が国民の耳にピンと響くように、歴史的考察を深め、語り直した方がいい。(敬称略)
杜父魚文庫
7012 「平成の開国」という語感 岩見隆夫

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