産経新聞は発行部数こそ読売、朝日に劣るが、読ませる記事・論評で優れている。このことを教えてくれたのは先輩記者だった麓邦明氏。麓氏は海軍兵学校を出た職業軍人だったが、敗戦で東大法学部に入り直して共同の政治部記者になっている。
ある日、田中角栄氏が共同通信社にやってきて「麓氏を秘書に貰いたい」と福島慎太郎社長に頼んできた。佐藤元首相の首席秘書官だった楠田実氏は「麓氏は哲学者的風格と思考力の持主」と述べている。その楠田氏は産経政治部の出である。
角さんにとっては総理・総裁の座を目指すには政策で武装する必要を感じていた。カネだけでは総理にはなれない。角さんの最大傑作といわれる「都市政策大綱」は、麓氏が東大法学部時代に培った若手官僚の智恵を集めて作っている。このチームに新聞人として参加したのは、産経政治部の千田恒氏。(中公新書「佐藤内閣回想」の著者)
今の産経で読ませる記事・論評を書いているのはワシントン・古森義久、北京・伊藤正、ソウル・黒田勝弘、東京政治部・阿比留瑠比氏ら多士済々といえる。「産経は読んでおいた方がいいよ」と教えてくれた麓氏は、田中内閣が成立する前に角さんのもとを去った。その後を継いで角さんの秘書になった早坂茂三氏も亡くなった。
麓氏が亡くなって久しいが、尊敬する先輩の教えを守って産経新聞だけはよく目を通すことにしている。
<問責決議可決後の政権の対応と野党側の見解 参院で問責決議が可決されたのを受け、菅直人政権の“弱み”となっている仙谷由人官房長官が、決議に法的拘束力がないことを盾に、「内閣の要」の座に居座り続けている。だが、民主党は野党時代、問責決議をフル活用し、自民党政権を揺さぶり続けた過去がある。仙谷氏は7日、同僚議員がその当時、「法的拘束力がある」としてきた見解を訂正し、批判の矛先が自身に向く「ブーメラン効果」を避けるのに“必死”となった。(村上智博)
平成20年6月、福田康夫首相(当時)が問責決議を受けた際、民主党の鳩山由紀夫幹事長(同)は「衆院における不信任決議案可決と同じ意味を持つ」と発言した。仙谷氏は7日の記者会見でこの発言に対する見解を求められると、あっさり覆した。
「そういうことを民主党が言っていたとすれば、憲法解釈を過剰に政治論でまぶしすぎているのではないか。訂正すべきだ」
仙谷氏は、内閣改造で交代する公算が大きいが、「ねじれ国会」下で問責により辞任する前例を作れば、政権運営が立ち行かなくなるのは確実。このため、通常国会での審議拒否を突き付けて辞任を迫る野党側を批判するとともに、報道機関に対しても、「各社の論説の皆さんには審議拒否について自らの立場をはっきりさせてほしい」と難癖を付けた。
昨年11月に馬淵澄夫国土交通相とともに問責決議を受けて以降、仙谷氏は「問責決議には法的拘束力はない」と言い続けてきた。憲法の規定に基づき可決後は、衆院解散か総辞職を行わなければならない内閣不信任決議案との違いを強調することで、自発的辞任を拒んできたのだ。
ただ、問責決議の法的根拠をめぐっては、自民党の伊吹文明元幹事長が昨年12月、国会の首相指名権を理由に「法的根拠がないとの説は誤りだ。憲法67条(による首相指名)を前提に行う決議である」との見解を発表している。
問責決議で政権運営を揺さぶる戦略は野党時代の民主党が好んで使ってきた。
平成10年の「ねじれ国会」下では、防衛庁背任・証拠隠滅事件で自民党の額賀福志郎防衛庁長官(当時)に提出し、同調した野党の公明党とともに可決。その1カ月後、額賀氏は辞任に追いやられた。この「問責作戦」を皮切りに、民主党は福田康夫、麻生太郎両元首相にも同様の手法をとって、総辞職や衆院解散につなげた。
首相も野党時代は問責決議を受けた首相や閣僚に「即刻辞任すべきだ」などと迫っていた。ところが、内閣改造で仙谷氏の責任をうやむやにしようとしており、都合の悪い過去は忘れようとしている「ご都合主義」が見え隠れする。(産経)>
杜父魚文庫
7013 問責は「法的拘束力なし」と言うけれど 古沢襄

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