新年にあたり、日本人の心や日本の国のあり方の精神面について書いた論文に関心をひかれました。筆者の平川祐弘氏(比較文化史家、東京大学名誉教授)は新年に靖国神社に参拝して、平和を祈ったそうです。その背後の考え方がとてもわかりやすく説明されています。
■日本の命はまた、あらたまる
≪「万世一系」に民族の永遠感ず≫初日の出に柏手(かしわで)を打つ。遠くの富士山が美しい。有難(ありがた)い。
元日や一系の天子不二の山
これは内藤鳴雪の句だが、日本に生を享(う)け八十の歳(とし)を迎える私の正月気分でもある。外国女性に向け、「これが日本人の神道的気分だ」と説明す る。しかし、The First Day of the Year/One Line of Emperors/Mount Fujiと英語に直訳しても 彼女には伝わらない。
それで昨年、明治神宮の初詣に案内したら、参道に拝殿に向かう人々の熱気がこもる。冬の真夜中の雰囲気に彼女も感銘を受け「日本で宗教は生きている。日本人は自覚しないけれども神道的な気持ちを尊んでいる」といった。私も社前で手をあわせて、一家の無事や日本の自信回復を祈った。その姿を見て外国の友人は「ヒラカワはシントウイストです」といった。私は神道家ではない、といってもそういった。
元日を迎えるときのあら たまった気持ち、「年の始めの例(ためし)とて、終なき世のめでたさを、松竹たてて、門(かど)ごとに祝ふ今日こそ楽しけれ」と小学生のころに歌った。終り無き世を象徴するのが万世一系の天皇である。
明治26年にこう作詞した千家尊福は出雲大社の宮司だった。年頭、命があらたまる。連綿と続く天皇に民族の永遠を感じる気持ちは多くの日本人が無自覚裏にわかちもつ。神道のお国柄ゆえで、元旦の朝日はなんとなく尊い。もっともそんな気分は外国人や日本人でも脳内白人といわれる人にはなかなか共有できない。
それに逆さの体験を私はした。外地で十回、新年を迎えたが、いつも侘(わび)しかった。 パリでもワシントンでも、大晦日(おおみそか)の12時に男女が頬(ほお)にキスして賑(にぎ)わうが、クリスマスの祭りの後の新年だから、一月一日の朝はとりたててどういうことはない。北京や台北でも、春節は農暦に従うから、正月は事務的に一日休むだけである。もっとも東京でも昭和20年の元日は夜中に 空襲警報が鳴り防空壕(ごう)に退避した。それでも朝、おせち料理をいただいた。鯛(たい)はなく鰤(ぶり)だった。
≪明治神宮焼き払った米軍の暴挙≫
戦争中、米国は神道や天皇制を敵視し、日本軍国主義の背骨だと決めつけた。昭和20年4月14日、米軍はそれをへし折るべく明治神宮の本殿と拝殿に焼夷弾 (しょういだん)を集中投下して焼き払った。暴挙である。米宗教学者ハーデイカーは、戦争中の日本では天皇は「あきつみかみ」とか「あらひとがみ」と呼ばれたと非難した。『万葉集』の昔から用いられた美辞的表現が、戦争中多用されたのは事実だ。さりとて戦争目的のために特別に作られたわけではない。
だが、それをdivine emperorとかgod in human formなどと英語に訳すと、西洋キリスト教徒にはどぎつい不穏当な印象を与える。これはいってみれば『神曲』の詩人をdivineと呼ぶからダンテを神様に祀(まつ)り上げた、といって非難するような愚かさだ。「八紘一宇(はっこういちう)」という言葉は私も小学生として習ったが、それが「日本民族は他に優越し、全世界を支配する使命を帯びた国民である」ことを意味するなどとは戦争中も教わった覚えはない。「八紘一宇」はむしろ「人類みな兄弟」に近い語感だった。「日本がアジアで指導的立場に立つ」という主張は当時の東洋ではほかに西洋帝国主義に拮抗(きっこう)できる独立国がなかった以上、むしろすなおだった。
≪歴代米大統領も来日の折、参拝≫
宗教はどの国でも戦争中は国に仕える。米大統領もGod Bless Youと米兵を祝福してイラクの戦地に送り出す。かつて神道は国家神道であるとして 目の敵にされた。ところで敗戦後、神社への参拝の強要はなくなった。神道が国教と見做(みな)されることはもはやない。しかし戦前のような政府の庇護(ひご)や国家の財政援助はなくなろうとも、神道は敗戦後66年、依然として栄えている。そして日本の命は新年によみがえる。
いまや歴代の米大統領も来日して明治神宮に参拝する。クリントン国務長官は中島精太郎宮司のお祓(はら)いを受け、記者の質問に「日本の文化と歴史に敬意を表するため」と明快に答えた。だが戦時中の米中ソの反日宣伝の決まり文句は戦後も生き続け、内外の学者の頭にも刷り込まれたままである。というかハーデイカーの主張は反天皇の日本のミッション左翼の神道観の請け売りなのだ。
民主党の閣僚は日本の国土を護(まも)るために死んだ人を祀(まつ)る神社に参拝しない。彼らは戦後の教育情報空間の中で育った優等生で、いってみれば左翼系大新聞の模範解答どおりに行動している。朝日を拝まず朝日新聞を拝んでいる。だからこそ失政が続くのである。
かつて軍部のしたことに多々遺憾な点があったことは承知している。しかし私は死者の霊は区別せずに弔いたい。東シナ海の波は高い。庶民は素直に心配している。今年の元旦、私は靖国神社にお参りして東洋の平和を祈り、桜模様の御神酒(おみき)を買って帰宅した。(ひらかわ すけひろ)
杜父魚文庫
7014 私は新年に靖国に参拝し、平和を祈った 阿比留瑠比

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