仕切り直しの内閣改造で、党外から与謝野馨元財務相を起用した菅直人首相の注目人事、思惑はどこにあったのか。一つではなさそうだ。
与謝野は政界でもっとも熱心な大連立論者で知られる。「私が言いたいのは、意思決定機能を喪失したいまの国会の現状をこのまま放置してよいのか。意思決定システムは大連立でもよいし、中連立でも、政界再編でもよい。要はものを決められるシステムの構築だ。民主、自民両党の中でも、このことを強く感じる人が増えている」などと繰り返し語ってきた。
菅は入閣前の与謝野と2度会談した。そこで連立問題が話し合われないはずはない。与謝野が言う意思決定機能の喪失状態は、07年夏の参院選で自民、公明の与党勢力が過半数割れして以来、5年越しで続いている。
この春にかけ、それが一段と深刻化しそうな気配だ。首相として当然手を打たなければならない。表と別に、<連立問題担当相>という隠れたポストを与謝野に委ね、布石を打ったのではないか。
気になる発言もある。民主党の機関紙「プレス民主」1月7日号の新春インタビューで、菅は、今年どんなリーダーシップを発揮するのかと問われ、こう答えた。
「ベンチャー企業の起業家のように、何もないところからいろいろなものを作っていく。新しい政党を作ったり、参加したり、新しい試みをやっていくという思想が強くあります」
現職首相で与党第1党の党首が、新党作りに言及するのは異例中の異例だが、菅の意識もすでに政界再編モードに入っていることをうかがわせる。
2011年政局を特徴づけているのは、民主党政権がきわどいところまで失速し、一方の自民党復調も思うにまかせず、2大政党とも不調という政治の危機と空洞化のもとで、どこに突破口を求めるか、という命題だ。年明けの政界では、
「今年の後半は再編、それしかないでしょ」と割り切る議員も増えている。いまの民主・自民体制が、今後成熟し、定着していく展望が見えてこないからだ。
しかし、再編と言っても、具体的な絵が描けているわけではない。その点で、最近、注目すべき2人の発言があった。
まず、参院でキャスチングボートを握る公明党の漆原良夫国対委員長。
「丸々の民主と公明がくっつくことは考えていない。あるとすれば、自民の一部、公明、民主の一部が組む政界再編だ。小沢さん(一郎・元民主代表)とは一緒に政治をやることはできないのではないか」(6日付毎日新聞のインタビューで)
小沢抜きの民・自・公3党による中連立だ。
もう一つは、自民党の安倍晋三元首相。「私のイメージする大連立は非常に短期の期間限定だ。憲法と選挙制度を変えるという2点で半年間だけ(民主・自民が)一緒にやることはあり得る。終えたらすぐ選挙だ」(7日、CS番組で)
与謝野らが主張するシステム構築論ではない。百家争鳴の兆しである。
国難、の危機意識は共有していても、それだけでは足りない。最古参の森喜朗元首相が、「外交、安全保障、新エネルギー、税や福祉、そういうものはオールジャパンで議論して、国民を安心させるのが政治の責任だ」と言っているのが重要で、党利・個利優先でなく、オールジャパン的な使命感が底になければ、再編にしろ連立にしろ結実しない。(敬称略)
杜父魚文庫
コメント
個人的には連立の条件は1つだと思っています。それは菅総理が総理の座を捨てることが出来るかどうかです。それなしに連立はありえないと考えます。
政治家は、政党の内紛に身をゆだねてよいものか。
議員は、自分自身の政治哲学は持ち合わせていないのか。
内閣の首班指名を何回繰り返しても結果は同じ (低級) になるのではないか。
標本を抽出する母集団の質の問題を考えることなく総理の首を何回挿げ替えても、結果は賽の河原の石積みのようなものになるのではないか。
たとえ主義主張が違っていても、大切な政治問題を解決するときには、お互いに力を合わせなくてはならない。
アメリカとソ連は力を合わせて日本を敗戦に追い込み一件落着とした。
大きな政治問題を解決するためには、政治家は小異を捨てて力を合わせなくてはならない。
個人の力ではどうにもならない現実の内容を、大局的見地から政治的に判断して変えるのが、偉大な政治家の役割である。
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