中国空軍の主力戦闘機についてはウイキペデイアに詳しく出ている。軍事専門家の手による紹介なのであろう。これまでは国産戦闘機の開発が遅れ、小型の旧式戦闘機ばかりだったので、質的な劣勢を補うために量でカバーする空軍といわれてきた。
しかし、いくつかの失敗を重ねて「J-10 (殲撃十型) 」のような高性能戦闘機を実戦配備し、「殲撃二十型」という最新鋭ステルス戦闘機の開発で世界の軍事専門家の注目を集めるに至った。
<■J-6 (殲撃六型)
1961年よりライセンス生産されたMiG-19SはJ-6 (殲撃六型)と呼称され、これによって人民解放軍空軍は初めて超音速戦闘機を手にした。しかしJ-6の生産中に中ソ関係が悪化したため、その生産には困難が伴ったと伝えられている。その後、全天候型のMiG-19PFおよびMiG-19PMのライセンス生産が試みられたが、いずれも失敗した。
その一方で、中国はJ-6系列に独自の改良を施した機体を開発し、高高度昼間戦闘機であるJ-6Iが1966年に、その改良型であるJ-6IIおよびJ-6IIIが1969年に初飛行している。しかしこれに続いて開発された全天候戦闘機であるJ-6IVの開発は難航し、最終的には中止された。
その後も全天候型の開発は難航し、その完成は1976年のJ-6Aを待たねばならなかった。J-6の主な派生型としては、対地攻撃機Q-5がある。4000機近くが生産されて空海軍で使用されていたが現在では全て退役している。退役後に、無人攻撃機に改修する計画が報道されたことがある。
詳細は「J-6 (航空機)」を参照
■J-7 (殲撃七型)
MiG-19に続いて、中国はマッハ2級の戦闘機であるMiG-21の生産を望んだが、中ソ関係の悪化のためにそれは困難であった。しかし1961年、ソ連はMiG-21FおよびツマンスキーR-11Fエンジン、AA-2空対空ミサイルの中国への供与を承認した。これはおそらく自らのリーダーシップを誇示しようとしたソ連のパフォーマンスであったと考えられているが、機体の引渡しののち対立はさらに激化し、最終的にMiG-21関連の資料は引き渡されなかった。
このため、中国はMiG-21をリバース・エンジニアリングによって解析することによって、その中国版であるJ-7 (殲撃七型)を開発し、1966年に初飛行させた。その後、J-7の国産量産型であるJ-7Iが開発され、1976年に初飛行した。しかしこれは性能的に不足であったため、運用は限られたものでしかなかった。J-7Iは1990年代前半には退役したが、退役機の少数は無人標的機に改造された。
その後、J-7Iの改良型としてJ-7IIが1978年に初飛行し、これがJ-7系列の本格量産型となった。その発展型として、1984年には西側の技術を導入して改良したJ-7IIAが、1985年にはエンジンや兵装搭載力を強化したJ-7IIH(のちのJ-7H)が初飛行した。また、J-7II系列の輸出型としては、F-7B,F-7M,F-7Pがある。
1980年代より、設計に抜本的な改正を加えた新世代のJ-7が出現した。1990年に初飛行したJ-7Eはダブルデルタ翼を装備し、より強力なエンジンを搭載したほか、アビオニクスも強化されている。2002年にはJ-7Eをさらに発展させたJ-7Gが登場した。J-7Gは、イスラエルのEL/M2001をベースとしたKLJ-6Eパルス・ドップラー・レーダーを搭載しており、より優れたアビオニクスを搭載している。
J-7系列の機体は合計で500機以上、おそらく700機が就役中と考えられており、数的には人民解放軍空軍の主力機と言ってよい。今後は順次J-10などによって代替されるものと考えられている。
詳細は「J-7 (航空機)」を参照
■J-8 (殲撃八型)
1960年代、中国は上記のJ-7の整備を続けていたが、J-7はベースとなったMiG-21に対して性能的に優れておらず、全天候能力にも欠けていた上、高高度を高速で侵攻してくる爆撃機に対する対処能力の点で問題があった。しかし中ソ対立の中でソ連からの技術供与は期待できず、中国はJ-7を拡大・双発化することで、より大型で強力な戦闘機を開発することにした。
この計画は、中国にとって初めての独力での戦闘機開発の試みであり、これによって開発されたのがJ-8 (殲撃八型)であった。本機の試作機は1969年には初飛行に成功していたが、文化大革命の影響から量産に至ったのは1979年であった。
しかし当時の中国の技術力では本機に搭載するレーダーFCSを開発できず、全天候性能の付与に失敗した上、昼間戦闘機としての性能はJ-7に劣っていた。このため、本機の生産は少数に留まり、改良型のJ-8Iの生産に移行した。
詳細は「J-8 (航空機)」を参照
■J-8II (殲撃八型II) =香港紙が伝えた墜落機
J-8Iは204型モノパルス・レーダーなどを装備したが、依然として性能的には不足であり、大規模な改設計を行なったJ-8II (殲撃八型II)の開発が行なわれた。
J-8IIでは、空気取り入れ口を胴体左右両脇に配置することでレドームの大型化を可能にし、ここに208型モノパルス・レーダーなどより強力なアビオニクスを搭載した。またエンジンもより強力なWP-13AIIに換装され、操縦システムも改良されたものの、視程外戦闘能力は保有しない。その後、さらにアビオニクスを強化したJ-8BおよびJ-8C、空中受油能力を付与したJ-8Dが開発されたが、いずれも視程外戦闘能力の保有には至らなかった。
2000年に初飛行したJ-8Fは本格的な多用途戦闘機となっており、JL-10ないし1492式と見られる新型レーダーを装備し、PL-12やR-77といったアクティヴ・レーダー・ホーミングの中距離空対空ミサイルの運用を可能にすることで視程外戦闘能力を獲得したほか、ロシア製のAS-17対艦ミサイルも運用可能となっている。
詳細は「J-8II (航空機)」を参照
■J-10 (殲撃十型)
J-7,J-8系列はいずれもロシアのMiG-21をベースとしており、その将来的な発展性には限界があった。これらを代替するため、まったくの新設計の国産戦闘機として開発されたのがJ-10 (殲撃十型)である。本機の開発には、イスラエルがかつて開発していたラビのノウハウが導入されたと広く信じられており、機体の特徴もそれを強く示唆している。
本機は、人民解放軍空軍が現在導入を進めているSu-27系列の機体と混合運用(ハイ・ロー・ミックス)を行うものと考えられている。本機の原型機は1996年に初飛行したが、この機体が搭載する国産の渦扇10(WS-10)エンジンは推力不足であった。ロシア製のAL-31Fエンジンを搭載した量産先行型は2003年より配備が開始された。
現状では200-300機程度が配備されていると推定されている。
詳細は「J-10 (航空機)」を参照
■J-11 (殲撃十一型)
90年代に入って、中国は次世代の戦闘機として当時のロシア空軍の主力機であるSu-27の採用を決定し、1992年に20機のSu-27SKおよび6機の複座練習型のSu-27UBKの購入を契約した。その後93年には単座型16機および複座型6機を契約、95年までにSu-27SK 36機およびSu-27UBK 12機が納入された。そして96年にはSu-27SKのライセンス生産契約を結び、これをJ-11 (殲撃十一型)と称した。
200機以上を生産する計画だったが、J-11の生産は96機で終了した。さらに99年には28機のSu-27UBKが契約され、Su-27系列の合計で172機が調達されている。近年、J-11の改良型J-11Bの生産が開始されたと考えられている。J-11Bには国産のフェイズド・アレイ・レーダーが装備されており、少数の配備が確認されている。
なお同機については、ロシア側からライセンス契約に違反している旨の指摘がなされたが、その後の中露の交渉でロシアがSu-27/30のライセンス権を完全移譲する代わりに違法コピーの疑いがある行為を中国側が停止するという提案がなされている。
詳細は「Su-27 (航空機)」を参照
■Su-30MKK
Su-27/J-11の後、調達は改良されたマルチロール型のSu-30MKKに移行したが、これのライセンス生産は行なわれず、全機が輸入となっている。1999年に38機、2001年にさらに38機が購入され、計76機が配備された。また2002年には海軍航空隊向けに24機が導入された。2008年にはロシア側が中国のSu-27/30シリーズのアビオニクスのアップグレードを行う事が決まった。
詳細は「Su-30 (航空機)」を参照>以上はウイキペデイアによる。
杜父魚文庫
7065 中国の”殲シリーズ”主力戦闘機 古沢襄

コメント