7154 ハバロフスクからのアクセス  古沢襄

ロシアのKhabarovsk(ハバロフスク)からアクセスしてきた。懐かしい。この街には二度行った。”坂の街”である。坂が多いので自転車がない。最初に行ったのはエリチェン大統領の末期、アムール川を遊覧船で上り、ハバロフスクの工場群をみたが、工場の煙突から煙がでていない。極東ロシアは疲弊のドン底にあった。
二度目はプーチン大統領の初期。石油と天然ガスを武器にした資源外交が成功していた。ハバロフスク空港に着陸する直前に窓から工場群をみたら、どの工場の煙突からも煙がモクモク吐き出している。極東ロシアの玄関ハバロフスクは生き返ったような活性化をみせていたが、逆に公害が気になった。
ハバロフスクはシベリア鉄道の重要な拠点、ハバロフスク駅に行ってみたが探検家ハバロフの像の回りにはジプシーが屯している。ジプシーはいつでもスリ、かっぱらいになるとガイドの女子大生からカタコトの日本語で注意された。
二度目の旅行で、この女子大生エレーナのことをホテルのガイドに聞いたらエレーナが現れた。ハバロフスク大学の5年生だったエレーナは結婚してお腹に子がいるとブルーの目で笑う。若いご主人と一緒にホテルの食堂でウオッカーの乾杯!ロシア人は人が好く、人懐っこい。子供を出産したら、またガイドをやると言う。
ガイドの報酬は20ドル、ロシア通貨で500ルーブルだから、物価が安くても生活は苦しい。ご主人の給料は2000ルーブル(一万円)だが、1500ルーブルの人も多いと言っていた。モスクワほどではないが、極東ロシアにもインフレの波が押し寄せている筈である。
杜父魚文庫

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